弊社のタイムレースという算数教材の解説が、youtubeにアップされている。
櫻井がセリフを書き起こすところから作成した超大作である。
近年では、あらゆる動画教材が利用可能であり、
私たちのときとは随分、学習環境が異なる。
「今の子供たちは~」などとローマ時代から言われている古臭いセリフを吐こうというのはないが、
便利な動画に囲まれている分、私たちの時より、「勉強すること」が大変になって気るのかもしれない。
読書は時代遅れ!?
選択肢が多くなるとき、子どもは直感的なものを選びがちなような気がしている。
動画の解説と紙の解説であれば、どちらが子ども受けするかと言われれば、
恐らく動画教材であろう。
youtubeは、3歳の娘の心さえも鷲掴みにする万能っぷりである。
この時代に生まれたときに、能動的な態度が要求される「読書」が好きになることは、一定程度の難易度があるのかもしれない。
動画の万能性と瞬間性
動画は確かに、多くの人にとってとっつきやすく、手を出しやすい。
よくわかりもしない文字の羅列と向き合うよりは、
ずっと気分が明るくなるものだ。
しかし、その明るくなった気分は永続しない。
目の前のその瞬間を楽しむためのものである。
その意味において、娯楽として楽しい動画を見ること、
分からないポイントを瞬時に確認することには動画は長けている。
ただし、学力に関しては、瞬間的であることよりも、
持続することの方が大切である。
動画授業は分かりやすく、良いものであるが、
それを見ていない時間をどのように使うかが大切である。
本が読めないなら、動画を見ればいいじゃない
私は、好んで「効率という名の非効率」という言葉を用いる。
理解を進めるという点に関しては、解説を読み解きながら、
試行錯誤していく方が、結果としてより学力の向上に寄与する可能性は決して低くはないだろう。
問題は、試行錯誤の前提の「読み解く点」にある。
この記事をきっかけに、いろいろと調べてみた。
中には、公立中学の正答率が50%台という信じられない問題も存在した。
想像以上に、「読めない」のだ。
読めない場合には、リアル版ドラえもんともいえる「google先生」で
動画を検索し、必要な動画を検索し、そこから情報を得るのだろうか。
もちろん、それで解決することはそれでよい。
しかし、すべてに動画があるわけではない。
また、「読む」という行為は、情報を操るうえで、
最も根幹的な行為である。
この部分が揺らいでいる状況では、
たとえ、動画を発見できたとしても、
正確に情報を終えているかは、甚だ疑問である。
終わりに
意気込んで改訂し、満足感にひたっているのも束の間。
やはり、まだまだ改善の余地があるなと考えつつも、
ボードゲームの誘惑に揺れ動く夜である。