失敗から得るもの
娘が好むゲームとしては、「スティッキー」や「ペンギンパーティー」がある。
そして、今回、そのラインナップに一つ「ワイルドバイキング」が加わった。
先日の「すごろくや」のセミナーで体験したゲームのひとつであり、
ルールも簡単で短時間でできることから、購入して、妻と3歳の娘と早速プレイしてみた。
結果、娘が勝った。娘に負けた。
もちろん、多少カードの出し方に配慮はしたが、
とはいえ、娘のカードの出し方に関してであり、自分は全力で勝ちに行った(笑)
運要素のあるゲームは、こうした点が一つの醍醐味と言えよう。
そして、一度、勝利の味に酔いしれると、これはある種の麻薬的な作用となり、
毎日のように、「黄色い箱のヤツやろう」攻撃が始まるのである。
例に挙げた、三つのゲームに関しては、すべて彼女に勝利経験がある。
やはり、人間にとって「上手くいった」経験は、他に代替できぬほど重要であるようだ。殊に、わずか46カ月しか、この世での時間を過ごしていない身にとっては、その意味は大きいのかもしれない。
ただ、これは大人にも言えよう。
自分が好きなゲームについて考えてみる。
既に100以上のゲームをプレイしてきているが、やはり、そのほとんどが、「上手くいった」経験のあるものである。
必ずしも「勝つ」必要はないが、ある程度「自分の想定通り」にことを進められることは、「好き」という感情を抱くに際して、必要な条件のようだ。
思うに、「面白い」とは、得てしてそんなものだろう。
世の中には色々な人がいるので、「うまくいかないこと」を楽しめる人もいるかもしれない。
いや、「うまくいきそうにない、うまくいかないこと」に面白味をかじられる人はどれくらいいるのだろう。
大人はみな、「失敗から学べ」という。
確かにそうだ。しかし、正しくは、「成功するために学べ」である。
同じようで、ベクトルが異なる。もしくは、成功に向くベクトルの強さが異なる。
結局、「人は成功からしか学べない」のではないかと思う。
成功したときに、過去の失敗が意味を成すという逆説的な状態が訪れるだけなのだ。
説明書の説明書は必要か
さて、前書きが長くなったが、元々書こうとしたのは、「ワイルドバイキング」についてである。
ルールは、いつものように詳細な説明をして下さる、先人たちのサイトに譲る。
説明書の読み込み作業に関して、3点ほど間違えて進行した箇所があった。
今回はそのうちの2つの表現をピックアップしてみたい。
「前の人より多くカードを出すか、パスをします。」
「サイコロで船が出て、宝石を置こうとしたときに、予備の宝石が1つもなくなっていたら即座にゲームは終了します」
まずは、一つ目。「前の人より」。
これは、ケアレスミスともいえるが、「より」と「以上」は同じではない。
よって、前の人と同じ数は不可ということになる。
算数の授業でも当然に指摘している部分ではあるが、
やはり実体験がある方が記憶に残りやすい。
ゲームの素晴らしい点はこのあたりにある。
二つ目の部分に関して。
終了条件は二つに分かれる。
「サイコロで船が出て宝石を置こうとしたこと」
「その際に、予備の宝石が1つもないこと」である。
予想通り、サイコロで船が出て、最後の宝石がストックから無くなった時点で終了としたのだが、
これでは、要件を充足したとは言えない。
ストックに宝石がない状態の中、サイコロで船が出て、
宝石を置こうとしたが、1つもない場合に終了なのである。
字にすると、少しわかりにくい。
しかし、実際にやってみると、すぐにわかる。
大学入試センター対策講義でもない限り、
上記の解説を文言だけでやろうとしたところで、上滑りするのは目に見えている。
仮に、中学受験でも一部の難関校受験生がついてこれたとしても、
やはり、ゲームを通じて、「文言」について考え、
実体験を通じて、文言の理解を深める方が、より教育的効果は高いと言えよう。
ゲームからの学習からのゲーム
こうして、ゲームを通じて国語力を高めようという狙いもある。
「狙いも」というのは、国語力と抽象的思考力をつけることの目的の一つは、
「より難易度の高いゲームに誘う」ことだからである(笑)
ということで、3月24日(土)は、「中学生ボードゲーム会中量級編」である。
ご参加希望の方は、下記よりご予約ください。
ご連絡をお待ちしております。