塾講師、かく語りき

塾講師、かく語りき

合同会社ディープグラウンド(DG)が運営する、京王線千歳烏山駅にある中学受験塾、烏山進学教室。講師が語る、学問に関係あることないこと。

おばけの存在と文明の利器

昨日今日の雨で、気温がぐっと下がった東京。

先々週あたりからずっと体の調子(特にのど)が悪く、困ったものです。

 

そんな状態なので、最近休日は家のパソコンでネット上の記事を読んだりして過ごしているのですが、先日、

またやってしまいました。

 

以前こんな記事を書いたことがあるのですが、

 

keio-juku-gakudo.hatenablog.jp

 

 

あれだけ苦手だと言っていたのに、小さいころからダメだと言っていたのに、たまたま見つけた怖い話をまた読んでしまいました。

 

あっいけない!と最初思っても、少し気になってしまうと、怖くなるところまでなら・・・とか言って読み進めて、恐怖心に憑りつかれる。

これ何なんでしょうね・・・。

 

友人にこの話をしても、

「じゃあ読まなきゃいいじゃん」

というド直球の正論を返されてしまいました。

確かにその通りなのですが、でも読んじゃうのはなぜなのか・・・。

 

ということで、今まさに1人でいるのが怖い状態です。

 

 

おばけの存在と文明の利器

表題のお話。

 

精神ボロボロの状態になりながら読んだ怖い話。

このまま負けてすごすご撤退するのは惜しい。

 

ということで、色々読んだ中でちょっと気になったお話について触れてみましょう。話のネタにすることで、恐怖心が少しは薄れるかもしれませんからね!

 

 

いくつか読んだ怖い話の中に、こんな感じの話がありました。

 

 

 

※ここから怖い話!

※ホラーとかおばけとかが苦手な人は、読み飛ばしてください!

 

 

深夜、男2人(A、B)で廃墟探検に行った。

中を一通り探索するも、特に何も出てこなかった。

せっかくなので記念写真を撮ろうと、Aを建物の前に立たせて、Bがスマホを構えた。

すると、画面の端、Aと離れた何もないところに顔認証システムが反応・・・!

しかもその顔認証の位置が、徐々にAへと近づいていく・・・。

それに気づいたBが「逃げろ!」と叫び、2人は一目散に逃げだした。

 

 

 

というお話。

とりあえずカメラの顔認証はすぐオフにしましたよね。

 

 

怖い話の代表格のひとつといえば「心霊写真」

写真に謎の影が写り込んだり、写ってる人の体の一部が無くなっていたり・・・。実際にはありえないような現象が写っていることに、恐怖と注目が集まったものでした。

ですが昨今、画像編集ソフトが一般的になってからは、「どうせ加工写真でしょ」と言われて、以前ほどの貫禄(?)はなくなっています。

 

一方で、上のような顔認証の話は、検索すればいくつもヒットし、都市伝説として一定の地位を確立しています。

youtubeにも検証動画がアップされているみたいですね。

※もちろんこちらも動画編集ソフトでいくらでも加工はできるのですが。

誰もが持っているアイテムが恐怖体験の入口になってしまうということで、その身近さから、勢いはこちらの方にありそうです。

 

つまり、カメラ技術の進歩が、おばけの在り方にも影響を与えたことになります。

時代とともにおばけも姿形を変えていくのですね。

 

たとえば、昔は色々なところに井戸があり、井戸幽霊も多かった。ですが現在では、井戸はそんなに多くありませんから、井戸幽霊もそんなにいないはずです。

ということは井戸幽霊の仕事の減少が著しいことになり、そうなると井戸にいた幽霊たちは他の土地に転職しなければいけなくなるわけです。

それが廃墟だったり、マンホールだったりするのかな・・・?

 

他にも、かつて一世を風靡した呪いのビデオの話。

DVDやBlu-rayに姿を変えて、都市伝説として存続しているのでしょうか?

 

ポケベルのサービスが来年9月に終了するということは、ポケベルの怪談も昔話になってしまうのですね。

 

あ、接続されていないBluetooth機器から雑音が鳴り響くって、現代の怪談っぽいですよね。

おばけ感が薄いのであまり怖くなさそうですが・・・。

 

 

そしてさらに、未来のおばけを大予想!

将来、自動車の自動運転が普及して一般化したら、

「自動運転で山奥の怖いところに連れていかれた」という怪談話が出てくると思います!

というか、現代でも強引にハンドルうばってくるおばけもいるんですから、自動運転っておばけに対して脆弱すぎやしませんか?

私自身はペーパードライバーなので、自分で操作しなくて済む自動運転は大歓迎なのですが、開発者の方々にはぜひ、おばけに乗っ取られない強靭なシステム開発をよろしくお願いしたい所存です。

 

 

まぁ、怖い話というのは必ず「話し始めた人」(実際の体験者かもしれないし、創作者かもしれませんが)がいて、「話を聞く多数の人」がいます。

で、怪談が成立するためには、それらの人に怪談の根幹となる共通の認識が無ければいけません。

アフリカの人に日本の皿屋敷のお話(お皿をかぞえて1枚足りない話)をしても、たぶん理解してもらえないでしょう。

ですから、その時代の世相が怪談話に大きな影響を与えうるわけです。

 

時代とともに移り変わる怪談。

新しいお話が出ては消え、出ては消え・・・をくり返します。

それこそおばけみたいに!(ドヤ

 

というわけで、怪談は無くならないし、誰かの手によって更新され続けていきます。

そして最新記事につい興味を引くようなタイトルがのぼり、おばけが怖い人がつい見てしまい、夜眠れなくなるのです。

 

今日もこれから後ろを振り向かず、耳をすませず、目を凝らさずに気をつけて帰ります。 

 

 

業務連絡

先週の日曜日、本館倉庫のA3用紙の在庫を確認するように言われたので、

「3箱くらいあります」

とお伝えしたと思いますが・・・

 

ごめんなさい。虚偽報告です。

 

あの暗いところを覗くのが怖かったので、外からパッと見で個数を推測しました_(._.)_

今度、明るくて他に誰かがいるときに確認します!

中学受験塾講師が実践した年少児に繰り上がり・繰り下がりをマスターさせた方法

「タイムレース」って何?

先日土曜日は、新五年生、新四年生、男子部の説明会だった。

人前で話すことは大好物なので(講演とか対談とか何かしら依頼などありましたらいつでもお受けします(笑))、それなりに充実した一日だったのだが、準備段階で毎年生じる問題がある。

 

「教材名が独特すぎてわかりづらい」

 

弊社はすべてをオリジナル教材で構成されているため、作成者の思いがその教材名にも込められている。

 

ウソです。

 

名前やデザインやカリキュラムを全て決めているのはです(笑)

作成者の思いは、教材の中にふんだんに込められているものの、

きっと作成者も受講生も名前になんて興味はないだろう。

例えば、12月に毎年渡す問題集の表紙がこちら。

 

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游於藝

その名も「游於藝(げいにあそぶ)」

カッコいいでしょ? カッコいいですよね?

ところが、この教材、現在では多くの受講生が「紫のヤツ」と呼んでいる。

しかも、あろうことに時には教員まで(泣)

他にも省略されて呼ばれている教材も少なくない。

「マスぺ」とか「センリ」とか「キュウジン」とか…

 

そんな中で、創業当初から君臨し、全学年全科目に存在し、

だれからも省略されずに呼ばれる教材がある。

それこそが、「タイムレース」である。

「タイムレース」??「時間競争」??なんじゃそりゃ??

という感じなのだと思うが、要は小テストである(笑)

ただし、名前に偽りはなく、時間制限はかなりタイトだ。

例えば、6年算数だとこんな感じ。

(ちなみに公開していいのかというご心配をいただくことがありますが、手前どもは「教材屋」ではないので、お使いになりたい方はどうぞ。その際、ご連絡いただけますとよりうれしいですが、なしでも構いません。)

 

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タイムレース(約束記号)

この回は「約束記号」だけれど、算数の場合、本体とは別にこうしたタイムレースを3つ他の教科は1つずつ実施している。

算数に関しては、間違えた問題を解き直し、その途中過程を運営部長の厳正なチェックの下をかいくぐり、平日の演習を通じて処理に落とし込むというのがこの教材の趣旨。

大人でも厳しい、というか無理な時間設定なのだけれど、やはり子供は「時間を区切った」方が集中力も持続しやすいということで。

これを、計算ドリルが嫌いだった私が設計したというのだから、

いつの世も現実は複雑怪奇なものである。

 

やり方って何?

さて、先日、twitterでつぶやいたこの記事。

長女は私と違って「計算ドリル」は嫌いではない。むしろ好きなタイプだ。

それでも、あまり4歳の年少児に計算ドリルをさせるのは気が進まない。

この画像を見ると、さぞや塾講師の親が反復練習で鍛え上げたに違いないとお思いの方もいらっしゃるだろう。

そこで、4歳児に教えた方法をここに披露したい。

それは、

 

ひたすら数えろ!

 

ただそれだけである。

指でもいい。別の紙に〇を書いてもいい。

たし算だろうがひき算だろうがそんなことは関係ない。とにかく数えろ!とだけ伝えた。

巷ではさくらんぼ算」なるものも流行していると聞く。

js-mama-onayamikaiketsu.com

もちろん、この「やり方」については知っているし、このやり方を否定するつもりは毛頭ない。

むしろ、使い方を誤らなければ、よくできた方法といえよう。

問題は、4歳児でこのやり方を知っている意味があるか、ということである。

断言しても良い。

 

ない

 

「やり方」は後でも教わることができる。

ただ、もしかすると「ひたすらに数える」うちに自分なりに気が付くかもしれない。

あるいは、頭の中だけでできるようになるかもしれない。

「やり方」を先に教えることは、この機会を奪ってしまう。

4歳児でたし算ができようが、かけ算ができようが、そんなアドバンテージは大した意味を持たない(と塾屋の私が言ってしまう(笑))

ただ、「ひたすらに数える」ことで、「考える体力」は養われるのではないだろうか。

私がここにいう「考える体力」とは、「集中力」+「胆力」である。

職業柄、これらについては小学校低学年までにしっかりとつけておくことが望ましいと感じている。

それは、何も英才教育を施すということではなくて、時には時間を忘れ図鑑とともに夜更かしをするでもいいし、広大な自然の中で懸命に虫を追いかけるでもいい。

「集中力をもって最後までやりきる」体験を数多くしてほしい。

そして、できる限り大人の手を借りずに。

「何をやるか」ではなくて、「どのようにやるか」こそが大切なのだ。

今回のツイートに関していえば、たし算やひき算の答えがあっているかどうかよりも、「自分から」「問題を設定し」、それを解いたことの方が価値がある。

計算自体を早く正確にさせるのならば、市販のドリルを使った方が効果的だろうが(現に娘の作成した問題はひき算にかたよっている。)、

それは、いつか訪れる受験期にやってくれればよい。

 

長女の苦手なもの

そんな中で、長女が「集中力」+「胆力」を著しく発揮できない分野がある。

「食事」である。

本を読んだり、何かに取り組んでいるときはわき目も降らずやるくせに、

食事となると、テレビがついていようがついていまいが、

何かしら他のことに気がとられるらしく、…

そして小食なのである。。。

振り返れば、今でこそ大食漢に近い私も、元は小食で、

今であれば確実に教育委員会で問題視される高校野球「食い練」によって胃袋の拡張を余儀なくされたわけで…。

こういうどうでもいいところが私に似てしまったのだろうか。

許せ、長女よ。

もう一点。

君は生まれたときから、

「残念ながらパパそっくり」と皆に言われているのだよ(笑)

 

 

 

 

チョコボールを一気に3個食べる癖

秋になり、寒くなり、体の芯が冷えることも多くなってきた今日この頃。

こんな時に食べたくなるのが甘いもの

元より甘いものに目が無い私ですが、毎年秋になるとお菓子業界が秋の新作としてとても美味しそうな力作を発売してきますね。

今年は私の大好きなホワイトチョコ商品が色々売られていて幸せです。

 

 

一気食いのメリット・デメリット

さて、タイトルのお話。

書いてある通り、私はチョコボールを食べるとき、何個かまとめて口に放り込んでしまいます。

ポテチも一気に2枚食べたりしますし、ポッキーも何本かの束にして食べます。プリッツも。

 

要はお菓子を1個単位ではなく、一気に何個か食べてしまう癖がついてしまっています。

 

この食べ方のいいところは、口内いっぱいにおかしが広がり、瞬間の満足度が大きいことです。

チョコをほおばるとすごく幸せな気分になります。

おかしの甘さとともに幸せを感じられるなら、これ以上の食べ方は無いと思います。

チョコボールは1粒が小さいので、何個か口に入れないと満足できない部分もあります。

 

ですがもちろん、わかりやすいデメリットもあります。

この食べ方、おかしがあっという間になくなってしまうので、コスパが悪い。

3個ずつ食べていくと、1個ずつ食べている人の3倍の速さで消費していきますから、気が付くと2箱目に手が伸びていることもよくある話です。

おかしの食べ過ぎが、健康的にも金銭的にも良くないのは明らかですね。

 

あれ、デメリットの方が大きい・・・?

 

 

まとめ思考

私のこの癖がなかなか抜けないのは、私の根底に「まとめてやろう思考」があるからです。

 

昔から、物事はまとめて一気にやる方が効率的だと考えています。

例えば1週間分の宿題が出たとします。

毎日やっていると「休み0日」と感じてしまいますが、最終日にまとめてやれば「休み6日」と考えられて得な感じがしますよね。

学生時代には、1回の食事で1日分の栄養を全部摂った方が楽だとか考えて、1日1食を実践していた時期がありました。

他にも、ゴミ捨てはゴミ袋がいっぱいになってから。(逆に言えばいっぱいになるまで捨てない。)

日記も1週間分くらいまとめて書いたり。

 

こんな風に書くと、ろくな考え方ではないことがよくわかってしまいますね・・・。

 

 

結局これらの思考・行動は、私なりに「物事を効率的にやろうとした結果」です。

が、見ての通り、確かに「効率」はいいかもしれませんが、「それ以外の何か」が明らかに犠牲になっています。

宿題のくだりとか、今こうして塾の先生をやっていると、あり得ない思考だとよくわかりますね(笑)

食事なんて今実践したら絶対体調崩します。多少の無茶が利く若いころにしかできません。

 

 

効率化の犠牲

効率化は、可能なのであれば良いことだと思います。

ただし、効率化は、物事をある方向に推し進める反面、何かしら犠牲になる部分が出てしまいます。

1日1食は「健康」、ゴミ捨ての話は「室内環境」でしょうか。

メインの部分ではその目的を果たしていても、そこには副作用的なデメリットがありました。

 

ある物事の一面だけを見て、その方向では最適であったとしても、他の面では大きな不都合が生じている場合があります。

何かを決定するときには、見えている目的の面だけでなく、その他多数の面も考慮しないといけません。

しかも、他の面が今見えているとは限りません。

気づかないような場所にある見えていない面のあるでしょうし、どの角度からも見えない不可視の面があるかもしれません。

追い続けたらたぶんキリがありませんが、「あらゆる面から物事を想定する」ことは、とても大事なことです。

 

 

新しくペンを買う時、「安い!」と言って買ったペンが数回使っただけで壊れてしまう。時々あることです。

これは、「値段」にとらわれて「頑丈さ」に目が行っていなかったパターンです。

ペンを買う時には、

「色」「値段」「頑丈さ」「書き具合」「インクの量」「見た目」「分解しやすさ」「同じペンを持っていないか」「ペンケースの残り容量」「おこづかいの残り」「他の似たようなペンとの比較」

などの考慮面が存在します。

全ての面とはいきませんが、できるだけ多くの面を見て、最終的に購入するかどうかの決定を行います。

もちろん多くの面をクリアしたペンであれば満足度は高いでしょうし、もしペンに何か不満があったとしても、それは次回の考慮面となり、結果的に次のペンは今回より満足度の高いものになります。

 

 

こんな風に、現在の生活習慣も、再確認して改められるところがあれば改善していきたいものです。

言ってしまえば、食事の回数だって3回が正解だとは限らないわけですからね!

「栄養」「満腹度」「時間」「金額」「調理の手間」「タイミング」「胃の調子」「病気」「体形」「おやつ」

などを考慮して、自分に合った食事の回数を見つけることが肝要です。

 

もちろん、ある決定の裏には必ず犠牲になる面があります。

大切なのは、その犠牲を認識した上で受け入れること、結果に応じて改善を厭わないことなのです。

 

 

チョコボールを3個食べることのデメリットは先に書いた通りです。私はそれを認識した上で、3個食べています

もちろん1個食べを否定しようとは全く思っていません。

ですが、1個食べ派の人がもし、3個食べという面があることを認識していないのであれば、是非体験していただきたい。

3個食べの方がいいと思うかもしれませんし、やっぱり1個食べだなという再確認になるかもしれません。

 

が、どちらにしても、3個食べという食べ方が存在することを知ったこと自体が今後のプラスになる、と私は考えます。

 

 

1箱一気食いはまだやったことありません。

認識改善のため、今度やってみようかな(笑)

授業で扱ったボードゲームを振り返る

ボードゲームで成績は上がる!?

先日、保護者様より「最初は授業でボードゲームしてて成績上がるのかな?と思っていましたが、今ではボードゲームのおかげで成績が伸びたと思っています。」

とありがたいお言葉を頂戴した。

何とも嬉しい限り!

もちろん、「ボードゲームをするだけ」では、成績は上がらない。

教科の勉強の積み重ねがベースにあることは言うまでもない。

ただ、所謂「頭を使う」ということの形を作り、経験値を増やすことはできたのだと思う。

教科の勉強に際して、「取り組み方」の改善に資する部分があったと考えている。

 

また、説明書から読ませるという方法も功を奏したといえる。

「国語」となると、文章を「何となく」読んでしまう層は一定数いる。

しかし、ゲームの説明書を「何となく」読んでしまうと、一人だけ明らかにおかしな行動をしてしまう、のみならず、最悪の場合ゲームが壊れる。

実際に、文章の読み方に関しても、客観的に読む段階(レベル)を意識する細かい言葉遣いまで配慮する、といった点が少しずつできるようになってきていて、先週は洗足学園」の国語で80点オーバーが3名出現した!

ただ、やはりある程度の「継続」は必要で、少なくとも半年くらいは継続してやらないと効果は出てこないのかなと思った。

娘とも、週に1つをとりあえずのノルマとしてやれればいいなぁ。。。

 

ここまで使ったボードゲームを振り返る

12月からは、実戦演習期に入るため、ボードゲームは合格祝賀会までしばしのお預け。

ということで、ここまで授業で扱ったボードゲームを振り返る。

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ボードゲーム

 

工夫としては下記の通り。

論理的に考える要素のあるものを使う

場合分けが必要になるものを積極的に採用する

・5月からは、4週を「協力ゲーム」の週とする。

・30分以内で終了するものを中心に選ぶ

 

自分なりの改善点としては以下の通り

・「ダイス」「競り」「配置」など、もう少し体系的に整理してもよかった。

実施順については大いに最高の余地あり。

・本年度は人数が少なかったが、今後は人数による展開を考える必要あり。

・実際のゲーム中の場面に関する「フィードバック」の機会はもう少し多くてもよかった。

 

授業で扱った中で、私自身が好きなのは「マラケシュ」と「マスクメン」である。

マラケシュに関しては、こちらの記事をご参照ください。

keio-juku-gakudo.hatenablog.jp

 

マスクメンに関しては、詳細はこちら。

ameblo.jp

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マスクメン

マスクメンは、「強弱」が最初から決まっていないという点がポイントだ。

理想的には、自分が多く持っている種類のカードを誰かが多く出して強くしてくれればよい。

しかし、そんなことは起こらない(笑)

そこで、どこでバランスを取るかという悩ましさを体感できる。

フレーバーやコンポーネントが楽しいゲームではないが、

しっかりと考えること、悩むことを体験できるよいゲームである。

 

DGベース始動

さて、受験生はいよいよ残り2ヶ月となりラストスパート!

そして、私たちは来年度に向けた準備も着々と進行中。

今年は、「口頭試問」の授業で実施してきたボードゲーム達。

来年度から、「口頭試問」の授業は「DGベース」と名前を変えて、

各教員が1週間ずつ担当する。

具体的な内容は、これだけで1記事になりそうなので、また次回へ。

中学受験のalternativeを目指して、DGはこれからもひた走り続けます。

中学受験講師がおススメするボードゲーム(幼稚園編part2)

パズル好きは遺伝するのか

今週はスペシャル特訓、来週は保護者会&新入生説明会ということで、最近は何かと家での仕事が多い。そんな最中、長女は「カタミノ」というボードゲームに絶賛ハマり中で、二人で黙々と机に向かっている。

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もちろん、決して仲が悪いわけではない(笑)

長女は、やり始めると比較的集中力を発揮するタイプで、とくにパズルなんかはご興味がおありのようである。

私は幼少期、パズルの上に平気で自分の下手くそな絵を描いてしまうようなタイプで、生まれてこの方、あまりパズルのようなものにハマったことはないのだが、妻は昔から大好きだったようで…。

長女は成長とともに妻に似てきているようだ。果たして次女はどうなるのだろうか。

 

今週やったボードゲーム

さて、家で仕事をしていると、息抜きがてら長女とボードゲームに勤しむ時間も多くなる。ちょっと長すぎてしまうのはご愛敬と言うことで、先週遊んだゲーム達をいくつか紹介したい。

随分久しぶりの連載タイトルである。なぜいまさらか、それは、書くテーマがないのである(笑)

 

ゆかいなふくろ

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詳細は例によって他に譲るとして、

coronavi.jp

簡単に言うと、3は3枚目を出した人が、4は4枚目を出した人が、…という風に〇に関しては〇枚目を出した人がカードを総取りするゲームである。

これ自体は、正直大人が心から楽しいと言えるゲームではないのだが、「子どもの成長を感じ取ることができる」という意味では楽しいと言える。

最初は、〇枚目を出すことだけに集中していた娘が、次第に大きな数に注目したり〇-1枚目を出さないようにしたり2枚出しをするようになる姿を見ると、

数の感覚に対する成長をしっかりと感じることができる。

幼稚園生の今の時期にはもってこいのゲームと言える。

本人も、ルールを完璧に把握し、少しだけ戦略みたいなものを自分で立てられるようになった実感があるらしく、リピート要求が強い。

 

サウマウマウ

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詳細はこちらから。

treeboardgame.blog.jp

カードの出し方は「UNO」に近いのだが、一等を予想させるというのがちょっと変わったところ。

この「予想」というのが、実は、私が子供に最も経験させたいところである。

予想は、「自分なりの考え」とも言えるし、もう少しかっこよく言えば「仮説」とも言える。

世の中で、「頭がイイ」と言われている人は、この「仮説」、すなわち「こうではないかな」という部分が優れているような気がしているのだ。

さて、前書きが長くなってしまったが、基本的には幼児なので、一番前に入る豚がそのまま一番になると予想しがち。

もちろん、そうならないようにこちらは計算して出すのだけれど(笑)

4回目くらいから、予想を出すタイミングをギリギリまで待つなど、長女の行動に変化が見られた。

時間はかかるのだけれど、確実にステップアップしていくのがこの子の持ち味でもある。私にはない点だ…(笑)

最後は、ここまでの私の出し方を真似し、長女が自分のもっていた豚に予想し、まくって見事にゴール。自分が勝ったことで、気分良く次のゲームへ。

 

デイサービス農園

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名前から想像できるように、高齢者向けに創られているもの。

saikoro-table.com

これも一度やったことがあるので、今回は対戦型の最難関ルールで挑戦。

「最難関」といっても、基本的には振った二つのサイコロのうちの一つを選ぶという行動は変わらないため、さほど難しくはない。

このゲームで面白いと感じているのは、一の目が出た回数が一定回数に到達すると終了するという時間に制限があること。

例えば、「6」の畑は6マス埋めることで決算となり、一つにつき6点という高得点が得られるが、6マス埋まることと、「1」の目が出てゲームが終わってしまうことのどちらが速いか、などを考えられるといいなと思った。

もちろん、まだそんなことまではできないのだけれど。

もう一つ。「ダイスをふりなおす」というゲームは多くあるのだが、

この「振りなおし」の作業は思いの外難しく、6年生でもきちんとできない生徒もいる。

そこで、振り直しよりも一つハードルが低い、「どちらを取るか」という選択式で、ダイスゲームになじんでくれればという狙いがある。

さらに、今回は、最難関ルールということで「交換タイル」が用意されている。

これは、「すべての目のタイルを取ると40点のタイルと交換できる」など、一定の条件を満たすと、交換タイルを取得することができるというルールだ。

これにより、より戦略的なゲームとなる…のだが…

なんと、負けたではないか。

うん、ダイスゲームなんてて運げーだから仕方ない(泣)

 

今、小学生がアツい

今年は、ラミーキューブの日本選手権で小学生が優勝したり。

broad.tokyo

オセロの世界選手権で小学生が優勝したりと、

www.sankei.com

ボードゲーム会では、小学生が大活躍の一年となった。

我が子が…とまでは言わないが、いつしかボコボコにやられ続ける日が来るのかもしれない。

子の成長は楽しみであるが、ゲームに関してはやはり負けたくない。

相克する感情に揺られながら、いつか訪れるかもしれない負け続ける日のために、親の威厳を植え付けておかなければ(笑)

 

 

 

 

塾講師が幼稚園の授業参観に行った話

授業参観は前日から始まる

先日の土曜日、初めての授業参観が催された。

前日の金曜日、チームパパ魔法班の打ち上げ。

金曜日の打ち上げ

今であれば、これだけで嫌な予感が脳裏をよぎる。

しかし、当日の私はいつもの「末廣酔い止めスペシャ」(飲むヨーグルト500ml程度・C1000・ヨーグルト食べ物・ヘパリーゼ・ポカリスウェット)を服用せず、

しかも、朝からほとんど何も食べずに参戦。

明日は授業参観もあるし、終電では…と高を括っていたのだが…

気が付くといつも通り朝起きて家族を起こす。

そう、途中からの記憶が全くないのである。

夕方頃、リーダーから安否確認があったので、

恐らくは相当に酔っていたのだろう。

二日酔いのない体に産んでくれた両親には心から感謝したい。

そして、記憶のがないというのは恐ろしくもあり、幸せでもある。

 

いざ、幼稚園

妻の話によると、3時過ぎに帰宅したようである。

確かに、財布には490円のタクシーの領収書があり、時刻はそれくらいを指していた。

いったい、私はどこから乗ったのだろうか。

それはさておき、何事もなかったのように朝の身支度をすませる。

唯一、いつもの日常と変わっていることと言えば、幼稚園バスが来ないことである。

ということで、女性陣は電動自転車に乗り込み、私も愛車(自転車です)で幼稚園まで向かう。

幼稚園に着くと、カバンを置いて帽子を着替え、席に着く。

歌を歌ったり、出席を確認したりして、外遊びの時間へ。

しかし、何かがおかしい。

何だこの言いようのない違和感は。

 

そうだ、娘の動きが極めて秩序だっているのだ。

 

私は幼稚園の記憶は割と鮮明で、戸惑いand戸惑いの日々であった。

音楽に合わせて行動するとか、好まないものを食べ残そうとすると、食べるまで給食の時間が続くとか、自分の意のままに行動しようとするとけたたましく怒られるとか…。

強いカルチャーショックを受けたのを思い出す。

ところが、我が娘はTHE・幼稚園生を演じているではないか。

いや、演じているという表現はいささか語弊があるのだが、

自らの幼稚園時代を顧みるとこのような表現を使わざるを得ない。

なにはともあれ、自分のDNAが色濃くなかったことをこの日ほど喜んだことは無いだろう。

そんなことを考えている内に、舞台は外遊びへ。

幼稚園生がいかにもそれらしく、園庭を駆け回っている中、仲良くチームパパの皆様とご歓談をしていると…

何やら注意されている小さな子が。

 

我が次女である!!

 

幼稚園生に交じり、勝手に滑り台を滑る次女

注意される妻

遺伝子には抗えないとこの数分の間に改めて認識させられた。

 

大人になっても私の手を煩わせるのは

外遊びも終わり、室内へ。

今日は、絵をかいて紙皿に貼り、それを二つくっつけてフリスビーを作るというもの。

出ました、工作のお時間です。

きっと、幼稚園の先生方は、「父親の良いところを」と気を遣って下さったに違いない。

しかし、世の中には私のように図工という科目に苛まれる日々を送ってきた人もきっと一人や二人ではないだろう(笑)

ということで、ほとんどの工程を娘に丸投げすることにした!

結果として、無事にフリスビーは完成!

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どちらが私が書いた絵かは、敢えて言わないことにしよう。

 

幼稚園はアクティブラーニング!?

その後、大人は簡単な自己紹介をして帰りの会へ。

幼稚園の朝の会、帰りの会を通じて感じたのは担任の先生の教務力の高さ。

「授業形式」は学年が進むほど講義形式に近く、学年が下になるほど双方向性が増すイメージがある。

その意味では、幼稚園の教室は、双方向の極みともいえる。

正直、私の中では相当にカオスな状況を想定していた。

しかし、私の予想とは異なり、不規則発言もその一つ一つをしっかりとケアし、円滑に進行していく。

必要以上に赤ちゃん言葉を使わず、適切な語彙で話しかけながらも、

例示はとても丁寧に行われている。

園児が飽きないように音楽も効果的に活用されていて、参考になる点は多々あった。

(金髪にひげのおっさんが後ろでメモ取りながら聞いていたら不気味でしたよね。すみません。)

幼稚園の教務力は偉大である。

そういえば、「臥薪嘗胆」(授業終了後の演習時間)の集中力を高める方法を発見した。

それは4歳の長女を中心に置いたのである。

4歳児は好きなことはわき目もふらずやるため、集中力が切れた小学生を注意しやすい(笑)

もちろん、2時間も3時間も持つ方法ではないのだが、これからもたまに試してみようと思った。

これも幼稚園の先生方の高い教務力の賜物だ。

 

 

塾講師主催!ボードゲームママ会

ママ会の準備はパパかい!?

昨日は、我が家でボードゲームママ会」を実施。

「ママ会」なので、私自身は参加しないのだが、ゲームの選定など頭を悩ませる。

基本的には適当な性格なのだが、どこかに何かしらの変なスイッチがあるらしく、

選び始めると…明らかに採用するはずもない60分以上の大箱やらの説明書を読み始めるなど、大幅な途中脱線をしながらも、何とか無事に選び終わった、のは丑三つ時のころ(笑)

もちろん、やりきれないであろう量を選定したのだけれど(弊社をご存知の方はご想像できると思いますが、基本的に何をやっても余りが出るスタイルです。)、

どれも好評を博していたようで、選者としては何よりであった。

(ここで選んだゲームは、枯渇しつつあるブログのネタのために取っておきます(笑))

そういえば、最近、購入代行のお話もいただくようになり、

いっそのこと販売を始めた方が早いのでは、なんて思ったり、思わなかったり。

さて、何が言いたいか。

そう。水曜日の更新が遅れた言い訳をここまで書いたのである。

 

ボードゲームママは教育ママか

最近、ボードゲーム「知育」というキーワードでいろいろなことが語られていた。個人的には、この記事がとてもまとまったいて、参考になると感じたので、リンクを貼っておく。

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以前、どこかでも書いたのだが、

「頭よくなるから、ボードゲームさせたい」

たぶんあまりうまくいかない(笑)

そもそも、「知育」なんてものは、何をやらせても基本的には成立する(塾屋の発言とは思えない。)

私個人的には、子供の好奇心をくすぐり、集中力をもって取り組むことができるものは、すべてが知育の教材だと考えている。

それが、TVゲームであろうと、漫画であろうと。

勿論、私自身が「ボードゲーム」に感じている特有の魅力はあり、それは所謂“知育”の側面から見ても存在するのだけれど、

殊に幼児期の教育においては、副次的なものに留まるように思う。

要するに、ボードゲームに限らず、知育教材を用いて、獲得された「論理的思考力」やら「社会性」やらというものは、「結果」に過ぎないということだ。

何よりも大切なのは、「好奇心」を出発点とすること。

そして、「好奇心」は子供の好奇心は当然大切であるが、「大人の好奇心」を出発点とした方が、「知育」としてはうまくいきやすいのではないかということである。

なぜなら、大人が「楽しい」と思えないものを提供する際には、「やらせる」という「使役」の視点が必ず介入し、それを子供はとても敏感に感じ取ると考えるからである。

また、「大人の楽しそうな姿を見せるコト」以上の、教科書はそう存在しないだろう。

親であれ、「教育」と言われるものを提供する側であれ、「本当に自分が楽しい」と思えるものを子供に伝えることが、基本的な出発点であろう。

もちろん、子供が自発的に興味を持ったもので、親が興味がないものはOKだ。可能性としては、高くはないかもしれないが、ある意味で望ましい形ともいえる。

 

大人の楽しいを準備する

獲得されたものは結果論に過ぎないと書いた。

しかし、教育を提供する側としては、「結果論」ではいけない側面もある。

これは、通常、ボードゲームを楽しむユーザーとは異なる点と言えるのかもしれない。実際、「ボードゲーム×知育」さらに、「中学受験」というカテゴライズの中で仕事をしている人は、それほど多くはないだろう。

授業の構成、ゲームの選定、イベントの企画、の際には、当然であるが、「結果から逆算」することになる。

例えば、説明書から読ませることで実戦的な読解力をつけることができるとか、コンポーネントに触れることなく、説明書だけからの情報から推測することによって“立体的な”読解力がつくとか。

他にも、実際のゲーム中の一場面を写真に収め、終了後、この時点の最適手を考えるとか、挙げ始めれば枚挙に暇がない。

この辺りは、純粋にゲームを楽しみたい方がから見れば、邪道と評されるところだろう。

まぁ、それはそうなのだろうけれど、「教育」なんてありがたい言葉は、本来そうなのだろう。

数学者にしてみれば、計算練習の算数は邪道だろうし、大経営者にしてみれば、無駄な授業は多く感じるのかもしれない。

とはいえ、大事なことは、「大人が意図をもって準備すること」だと考えている。

当たり前と言えば当たり前。

ただ、意外と「惰性」や「何となく」という理由がまかり通ることも多いのが現実ではなかろうか。

準備したからと言って、必ずしも子供にはまるかはやってみなければわからないし、

はまらない場合に無理強いするなどもってのほか。

その労力は一瞬にして水泡に帰すかもしれないが、それでも、意図をもって準備をすること。その意図の前提に、自分自身の「楽しい」があること

こうした当たり前のことを当たり前に継続できる環境でありたい。

 

子どもの意思を尊重すると酒量が減る!?

ゲーム会当日、ゲーム中に、どこまで柔軟に子供に対応するかという話題になったらしい(自分を通すことと我儘は似て非なるものですからねぇ。)。

「タイニーパーク」というゲーム中に、わが娘が4回目のふり直しをご所望

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(もう皆さまお分かりだと思いますが、)我が家では、当然にこの提案は粛々と却下される。

準備段階で、「最初から子供だけ4回ふり直し」などの柔軟性はOK。

ただ、途中でのルール変更は一切受け付けない。

(仮にどんなに泣こうとも…(笑))

それは、ゲームでも何でも同じ。

一昨日も、図形の線対称移動に悪戦苦闘の娘。

単純図形なら難なくクリアできたものの、方眼紙の中にある図形を複数、その向きまでケアしながら移動させるのは思いのほか、難しかったらしい。

まだ早かったかな~と思いつつも、やると決めたページまでは最後まで何とかやりきった。

途中、「じゃああと2問でイイ?」のような提案が娘からあるのだが、これも当然に却下。なぜなら、どこまでやるかは娘自身が決めたのだから。

4歳児であるから、自分の能力を客観的にみることなど絶対に不可能。ただ、そんなことは、はっきり言ってどうでもよい。現時点の自分の能力に鑑みて、その量が多かろうが少なかろうが、まずは決めるということ、そして自分で決めたことを遵守するということ、これくらいの年齢はこっちの方がずっと大切だろうと思う。

大人にできることは、自分が面白そうな素材を選ぶことその面白さを伝えること好奇心と集中力が続く限り付き合うこと子供であっても自分の言葉と行動に責任を持たせること、こんなことくらいだろうか。

とはいえ、「なんて面倒な問題を選んだんだ、1時間前の俺よ。」というのが本音のところ。何たって私の興味を駆り立ててやまない今宵の美酒がどんどん先延ばしになってしまったのだから。