平成のピカソとも言われる私の渾身の作である。
誰がどうみても「シンデレラ」である。
……
そう、見てのとおり、3歳時点より、画力に関して一向に進化の兆しが見えない。
頭の中にあるイメージと、現実にアウトプットされるものとの差異は幼少期から認識しており、
幼少期には、父の日に描かされた描いた絵をうれしそうに飾る実父を、
内心「このへたくそな絵を飾るくらいだから、父はもしかしたら頭がおかしいのかもしれない」と心配したものである。
小学校になると、立体図形が登場する。
見取り図が描けない……。
体積も表面積も切り口もわかる。でも見取り図が描けない………。
あきらめて、教室の隅に視線を凝らし、角をx、y、z軸と見立てて考えていたものである。
苦手科目は「美術」と、今も胸を張って言うことができる。
そんな私に、デザインを担当させるのだから、弊社のスタッフ三人は、
鬼畜ばかりである心が広いというほかない。
ということで、上が私がデザインした「Special特訓」のチラシである。
勿論、プロが見れば色々とあるのだろうが、
「運動会のようなプログラムの多いごちゃっと感+充実感」
というコンセプトはそれなりに伝わるのではと自負している。
いや、伝わるのである!
あのシンデレラしか書けない私が、チラシを作れるのだから、
本当に良い時代に生まれたものだ。
PCは素晴らしい(笑)
(ここからは、上のチラシが素晴らしいという前提で書いています(笑))
でも上のチラシをよく見てみると、
鉛筆や消しゴムなどのフリー素材と基本図形の組み合わせに過ぎない。
それはそうだ、私ごときにイラストやばりの画力やセンスは到底期待できるものではない。
所詮は組み合わせ、されど組み合わせ。
意外と、こんなものなのかもしれない。
ただ、巷間では「クリエイティブ」という言葉が蔓延っている。
いや、悪いのは「クリエイティブ」ではない。
「クリエイティブ」と表現することで、溜飲を下げるような者たちだ。
ゼロからイチを生み出すことは素晴らしい。
言うまでもない。
ただ、この対極は「知識の集積」ではない。
「知識の集積」という手段を目的化した、所謂“詰め込み”である。
知識自体が、悪であるわけではないし、それの定着に努めることが悪であるわけもない。
「知識の集積」のその先を見据えない点に問題があるのだが、
この点を看過し、知識の集積=詰め込み=悪と単純化し、
クリエイティブと知識の二項対立を装う議論は、あまり生産性があるとは言えない。
クリエイティブは、「知識のその先」なのである。
昨今、大学入試改革が教育界を賑わせており、中学受験界も変革期を迎えている。
ただ、異口同音に「アクティブラーニング」・「グローバル」が叫ばれ、
教育内容や入試改革が謳われている。
みな一様に、「知識の詰め込みでは解けない問題です」とはいうものの、
「持ち込み可の入試」
「やり直し・訂正まで含めた入試」
といった意見に好意的な反応を示す学校はほとんどない(意見ではなく、私の金髪のせいかもしれません(笑))。
結局は「中庸」が大切なのだろう。
アンチテーゼからは何も生まれない。
あと数か月すると、
3歳の長女の画力は私を凌駕するに違いない。
はたして次女は…。