塾講師、かく語りき

塾講師、かく語りき

合同会社ディープグラウンド(DG)が運営する、京王線千歳烏山駅にある中学受験塾、烏山進学教室。講師が語る、学問に関係あることないこと。

一游一会

ボードゲームが結ぶ

ボードゲーム×子育て=ボ育て

なる書籍があることを知り、早速問い合わせた。

とても丁寧にご対応いただき、保護者会にて配布することができた。

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縁とは不思議なもので、お読みいただいた保護者様から、

ボードゲームが好きな方をご紹介いただくことになった。

 

枯山水を手にするあの日まで、こんな日がこようとはつゆにも思わなかったが、

一つの趣味が、仕事に通じ、ご縁へとつながった瞬間であった。

ちなみに、この枯山水というゲーム、

「徳を積む」「砂紋がきれい」など通常の生活を送る人間は、まず口にすることのない用語が飛び交うのも面白い。

徳を積んで、人から強奪するというのも実にシュールといったところか。

 

さて、弊社にお招きし、with my children という状況ではあったが、

とても有意義な時間を過ごすことができた。

 

弊社では、私がゲームを仕入れるため、どうしても嗜好が偏りがちである。

そういう意味でも、とても新鮮な感覚を味わうことができた。

 

 

ボードゲームが教材へ

 

ただ、そこは職業病が顔をのぞかせる。

先方のご配慮もあったのだと思うが、

国語の教材として活用したいなと思ったものがこの二つ。

 

「ワンス・アポン・ア・タイム」

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「ウォッチャ」

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ルールの説明は、リンク先に譲る。

ご興味のある方は、是非ご覧いただきたい。

 

私、末廣の性格をよくご存じの皆様、ご想像のとおり、既に購入いたしましたので、

実際に遊んでみたいという方は、ご連絡ください。

 

ボードゲームから学びとること

 

二つに共通しているのは、

「連想すること」

「主体的にゲームに参加する必要があること」

「語彙力を必要とすること」

である。

 

「受験」や「勉強」という言葉からは、直線的な解法の存在がちらつく。

しかし、現実にはそうではない。

安易な詰め込みに終始する者よりも、背景にまで気を配り、

知識を有機的に結合させていく力のある者の方がよい結果を生みやすい。

しかし、難しいのは、「つなげて考えるんだよ」と示したところで、

生徒自身がそれを体感したことにはならない点である。

その意味では、「連想」という要素は、教材として非常に魅力的に映った。

 

そして、これらのゲームは、所謂“手番”がない

主体的に思いついた者から参加することができるルールなのだ。

この点も魅力的で、「順番が来たから何となくカードを出す」という消極的な姿勢が排除される点も、教材としては扱いやすい。

どんなに優れた教材も、授業も、結局は生徒自身の主体性がなければ、

飛躍的な向上にはつながらない。

大人にできることは、子供自身の主体性に働きかけることで、それ以上でもそれ以下でもないと思っている。

 

最後に、「語彙力」。

「語彙力」は、活字を読むことでしか涵養されないというのが私の持論だ。

勿論、弊社にも語彙の教材はあり、できる限り効果的な内容にしようと英知を結集しているが、

やはり、自ら手に取った書物に描かれていた場合ほどの効果は、難しいところだ。

 

 ボードゲームは楽しい

 

ボードゲームを教材に」というと、職業柄、

「何になるの」

と聞かれることが多い。

論理的思考力とか判断力とか、…そうした御託を並べることになるのだが、

基本的には、何かしらの能力が涵養されることをスタートとするものではない。

当たり前だが、算数を解けるようになるには、算数の問題を解くことが最も直截的である。語彙に関しても然り。少し難しめの本を読むことに勝るものはない。

では、何がいいのか。

それは、いつの日かのブログでも書いた「楽しい」ということだ。

あくまで、出発点はここである。

「楽しい」ことを前提として、そこに付随して色々な力がついてくる。

これは、ゲームに限らず、結局は楽しいことでなければ続かないのであって、

自分にとって「何が楽しいか」、

そして、この「楽しい」は具体的なものであったり、

抽象的な思考であったり、

様々に存在し、さらに共存しているのであろう。

 

 

とあれこれ書いているうちに、低学年向け体験授業の内容が思いついた。

ボードゲームで学ぶ国語・算数・理科・社会」

 

教材研究には余念がない。