1月も30日を迎え、いよいよ入試本番まであと1日である。
何の暗示か、東京は雪の予報である。
弊社でも、恙なく最終授業を終え、
入試前日の自習室解放を待つのみである。
ちなみに、すでに新学年、しかも5年生男子のコースが本日から始まっており、
あらゆる流れがうねりを見せている。
さて、様々な塾で、最終授業では出陣式、
入試当日は入試応援が行われる。
そこで、「DG的『いたしません』」という形で、弊社のちょっとだけ変わった様子をご紹介したい。
鉢巻、いたしません
出陣式と言えば、しかも中学受験の出陣式と言えば、
通常このような光景が目に浮かぶに違いない。
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しかし、弊社では、金髪こそいれど鉢巻は一人もいない。
私自身は、リトルリーグや高校野球も経験した体育会系の世界に身を投じてきたが、
この手の同調圧力は苦手である。
説明が難しい。
ノリは大事である。乗れるときに乗れる人の強さ、乗れない人の弱さは分かる気がする。
ただ、鉢巻は進まないのである。
なぜだろう。
明らかに体育会系とはかけ離れた人間の必死さが痛々しいのであろうか。
とにもかくにも、弊社では鉢巻は「いたしません」。
シュプレヒコール、いたしません
「絶対合格するぞ~!」「お~!」
こういう時に大声を出せる人の面白さも、
声すら出せない人のつまらなさもわかる。
しかし、しかしである。
あの手のシュプレヒコールは苦手なのである。
これも私自身説明がつかない。
なぜなら、場面によっては体育会系の「コール」に、
心地よさを感じることもあるからである。
どうも“宗教的な”雰囲気があまり得意でないような気もしている。
いずれにせよ、言葉にならないのであるから、本質的に苦手なのかもしれない。
ということで、“中学受験的”シュプレヒコールはいたしません。
受験応援で握手、致しません
中学受験の校門前と言えば、
「大丈夫、今までやってきたことを信じてやれば大丈夫だからね。」
とかなんとか言って、校門前で握手をする光景が通常である。
ところが、弊社ではこのようなことはまず行われない。
入試応援には、行く。
ただ、試験を受けるのは生徒だ。
大丈夫かどうかは、当たり前だがやってみるまで分かりようがない。
そんななかで、十二歳の少女が一人で立ち向かうのである。
そのような状況を前に、私は軽々に「大丈夫」とは言えない。
もちろん、この「大丈夫」の一言に救われる受験生もいるだろう。
しかし、私には言えない。言うこともない。
その弱さをかみしめながら、また、来年に挑むのである。
私たちは、受験会場で握手、致しません。
保護者の涙、ございません。
出陣式を前に、自分の子供の成長を感じ、涙する。
何と素晴らしい光景か。
しかし、このような光景は、DGには存在しない。
かつて、保護者様に上記のような機会を作るべきと、
ありがたいお言葉を賜ったことがある。
だた、それは弊社には無理な話である。
私たちは、生徒を「子ども」としては扱わない。
あくまで、「一人の人間」として考えている。
所謂、“母性的愛”には、そこには感じられないのかもしれない。
ただ、私たちが感じているのは、「一人の人間としてどのように行動するか」ということである。
儀礼的な設定がなくとも、その瞬間的なものでなくとも、
感謝の気持ちを周囲が感じ取るような、
そんな日常の生活を心がけてほしい。
終わりに
毎年、最後の言葉として送っている言葉を記して、今日のブログの最後としたい。
そして、最後に、大人は楽しいですよ。