塾講師、かく語りき

塾講師、かく語りき

合同会社ディープグラウンド(DG)が運営する、京王線千歳烏山駅にある中学受験塾、烏山進学教室。講師が語る、学問に関係あることないこと。

ハンバーグという高い壁を越えられなかった話

寒くなってきましたね。

うちの冷蔵庫には、まだ気温が高かったころに買った真空パック叉焼が眠っています。

昨日賞味期限を確認したところ、今月いっぱいまで。

今日はラーメンでも買って帰り、叉焼増しラーメンを食べることにしましょう。

 

 

1か月以上前の食材が残っていることからお察しの通り、私はあまり料理をしません。というか、難しい料理はできません

だいたいの料理に1回はチャレンジしてみるのですが、1回作ったらそれで満足して2回目に至らないんですよね・・・。

くり返しが無いので料理ができない、というわけです。

 

学生時代、手作りハンバーグに挑戦してみたことがあります。

タマネギをみじん切りにして軽く炒め、牛乳と卵とパン粉とひき肉をよくこねて混ぜ、形を整えて焼く。・・・でしたっけ?(うろ覚え)

で、完成!

 

さっそく完成した自家製ハンバーグを試食してみたところ、下準備の大変さとは裏腹に、それほどおいしくありません

しかもそれが生焼けだったらしく、盛大に腹痛を起こして

「もうやらない!」と誓ったあの日

 

それ以来、作業が複雑な料理に手を出すことに抵抗を感じるようになってしまい、未だに麺をゆでるか野菜を炒めるか鍋でまとめて煮込むかくらいしかできません。

 

 

この一件で、ハンバーグという高い壁を越えられなかった私の未来に、「料理人」という選択肢は消え去ってしまったわけです。

が、逆にもし、あのハンバーグでの失敗にめげず、よりおいしいハンバーグを作るべく努力していたなら、料理人という道も現存していたのかもしれません。

 

越えるべき壁と、そうでもない壁

失敗は人を成長させる、とはよく言いますが、それはその通りだと思います。

高い壁を乗り越えたときの経験値と達成感は、何物にも代えがたいものでしょう。

そして次はもう少し高い壁を越え、どんどん先に進んでいくことを、一般的には成長というのだと思います。

 

 

ただし、失敗は必ずしも乗り越えるものではなく、ときには引くことも必要だと思います。

 

人が失敗にぶち当たったとき、その壁を越えるのか、それとも他の道を通るのか。そこには選択が伴います。

 

この道は自分に合っているのか、

この壁は時間と努力をもって乗り越えるべきなのか、

それともこの壁ではない他の壁を探しに向かった方がいいのか

その選択に真剣に向き合い頭を悩ませている時、その人は成長していると言えるのではないでしょうか。

 

失敗は経験です。

経験は人に頭を使わせます。 

頭を使った人は、次には成長しているのです。

 

 

 

ただ、どのくらい悩んで、どのくらいで見切るのかは、非常に難しい判断力を要します。

 

「悩む時間」という絶好の成長機会を、軽く「いいや(ポイッ)」で済ませていると、結局成長にはつながらないでしょう。

かと言って1つの壁に固執しすぎていても他のより自分に合った壁を見つける機会が失われるわけで・・・。

 

この取捨選択の見切りの早さ、言い換えるとフットワークの軽さというのが人それぞれで、自分にとっての正解が他人の正解と一致しないところが難しいですよね。

 

 

人に何かを薦めるときも、生徒に指導をするときにも、自分の正解が相手の正解ではないと考え、相手に合った方向性で一緒に考えることが大事なのだと思いました。

 

 

 

 

ちなみに、私の料理人の道は、好き嫌いが多いため結局無理という結論に至りました。残念。

 

でも世の中には35歳でプロテストを受けてメジャーデビューした人がいたり、48歳で開発したチキンラーメンが大ヒットした人がいたりしますから、自分にもまだまだ選択肢(と壁)がある!と前向きに考えていると、先が明るくなる気がしますね。

 

 

 

余談ですが、

私は好きな食べ物を聞かれたときには、必ず「ハンバーグ」と答えるようにしています。

この答えには、おいしいハンバーグが食べたいという思いと、おいしいハンバーグがつくれる人はすごい!というリスペクトの念が含まれています。