塾講師、かく語りき

塾講師、かく語りき

合同会社ディープグラウンド(DG)が運営する、京王線千歳烏山駅にある中学受験塾、烏山進学教室。講師が語る、学問に関係あることないこと。

塾講師が考える親が子供に与える影響

習い事協奏曲

東京では、幼稚園生にもなるとみんな「習い事」なるものに行き始めるようで、我が家の長女も今月から始めることになった。幼稚園生の習い事とは面倒なもので(こんな書き方をすると怒られますが)、基本的に保護者同伴。週に3つも4つも習い事があるこの場合、それだけで親御さんもさぞ大変だろうと思うのである。

そんな習い事の待ち時間は、当然親同士話すことになるのであって、

我が家の場合には、ご同伴のおばあさまと仲良くなったようである。

 

ボードゲームを進める塾講師

 

ここからの「あるある」なのは、

職業が中学受験塾であると話す

→あれやこれやと聞かれる

→質問には答えつつ、ボードゲーム面白いですよと言ってみる

という流れ。

この後は、概ね三パターン。

 

パターン1 ファッション面白そう

何それ?面白そう?教えてよ?と言いながら、実際にはそれ以上教育系の話やボードゲームには触れないパターン。

実は面白いとあまり思っていない。

 

パターン2 忘却の彼方へ

面白そう!今度教えてよ!と割と本気で思っているのだが、

「今度」の設定をいつの間にか忘れていて、「今度」が訪れないタイプ。

これ私です(笑)

いろんなことに興味はあるものの、記憶力の無さとものぐさが相俟って、

中々実現しないことが多い。

 

パターン3 難しいことわからな~い

受験トカ説明書トカ難しそうでわからな~いということで、話が終わるパターン

 

 別に、私たちの話なんてその程度のものであるから、これらのリアクションはある意味で正しいのだろう。こういう人たちを批判するつもりは毛頭ない。

ところが、今回の習い事では違うパターンが出現した。

 

「それ面白そうね。買っておいてもらっていいかしら?」

 

??

 

これは斬新なパターンだ。良いと思ったことを直行できる人は、率直にリスペクトに値すると常々思っている。

ということで、今度、田川がボードゲームをいくつか持ってご自宅に伺うようだ。

ここまででも十分新パターンなのだが、さらにさらに。

伺う時間はお母様のお仕事がお休みの午前中らしく、

「午前中だと子供いないけど、いいですか?」

とお聞きしたところ、

まずは、大人が楽しまなきゃ。聞きたい話もたくさんあるしね。」

とのご回答だったそうな。

子どもがいると、どうしても目線は子どもにいきがちである。

いや、それが自然だし、それでよいし、場合によってはそうあるべきかもしれない。

そんな中で、「まずは大人が」と言える感性は、端的に言って素晴らしい。

大人が楽しむ姿を見せることも、最良の教育と言えるはずだ。

言うまでもなく、「放置されている」要素が微塵も見当たらないことは付言しておく。

 

大人の興味のアンテナ

 相手方のこともあり詳細は書けないのだが、

長女と同じ習い事の子は三人兄弟の三番目。

一番上は某有名難関校に通い、二番目は現在、有名難関校を目指して受験勉強中とのこと。

どうしても塾講師という職業からこういう表現をすると、「すぐ子供の成績とかに結び付けるんだから」と、どこからともなく批判が巻き起こりそうであるが、

ここで言いたいことはもちろん「成績」のことではない。

周囲に「興味のアンテナ」の感度が高く、「行動力」のある人間がいることのあたえる効果である。

子どもは、望もうとそうでなかろうと、周囲の大人を鑑として成長していくものなのだ。

そして、日常の中でその子なりの「当たり前」が醸成されていく。

 

選択肢の多さ=Happy ??

以前、どこかで書いた気もするのであるが、年に何回か、「今日は行きたくない」と言って休む生徒が出てくる。

このとき話題に上るのが、「行きたくないと親に告げることが選択肢にのぼるか」である。DG4人衆の場合、選択肢にのぼらないらしい。なぜか。

瞬殺されるのは目に見えているからである。

私はこの仕事を始めるまで、「選択肢が多い」ことは幸せなことであると思っていた。

しかし、この仕事を始めて「選択肢が多い」ことが、ときに幸せではない状況を作り出すことを知った。

良くも悪くも、この選択肢の形成に多大なる影響を与えるのは親である。

どんなに放任主義で育てようとも、どんなに過保護に育てようとも、

その影響力に排除の余地はない。

そして、この影響力を完全にコントロールすることは実質不可能である。

親の考え方、習慣、行動は、子どもの中に蓄積し、選択肢という形で現れる

 

女の子はコワイ

「じゃあお前はどうなんだ」と言われれば、自分を他山の石とし、微塵も似ないことを切に願うほかない(笑)

ただ、一つ考えているのは、楽しそうな大人を見せること

自分はもちろん、その周りの大人も含めて。

我が家は決して広い家ではないけれど、よく色んな人が訪れてくれる。

このあたりは、鹿児島の文化もあるのかもしれない。

田川も酔っ払いの深夜襲来なども基本的にウェルカムである(我が家に来る人がいつもみんな酔っ払いというわけではない。)

今度、ボードゲームに興味のある幼稚園のママが数人我が家を訪れるらしい。

先日、長女が「引っ越したい」と言っていて、なぜかと理由を聞いてみると、

「友達が来るなら広い家がいい」

とのこと。先日お邪魔した生徒様の億ションがたいへんお気に入りのようだ。(それ以外にも、お招きいただく皆様は、それはそれはご立派な邸宅を構えていらっしゃるのです。。。)

「ちょっと難しいかな~」

というと

「そっか~。うちお金ないもんねぇ」

 

…。

 

億ションを買うかどうかは別にして

楽しいだけでなく、「お金ないからね」と言われない大人を見せることも必要だと思った。

DG万歳

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