塾講師、かく語りき

塾講師、かく語りき

合同会社ディープグラウンド(DG)が運営する、京王線千歳烏山駅にある中学受験塾、烏山進学教室。講師が語る、学問に関係あることないこと。

中学受験塾が市議会議員選挙に挑戦した話

選挙戦は突然に

昨日は、幼稚園のパパ会と言う名の飲み会

二次会までしっかり行った私が朝目覚めると、すでに妻の姿はない。

??

そう、昨日は投票日ということで、今日はお礼の辻立ちをしていたのである。

twitterでは、度々更新してきたが、弊社のおくぢが今回市議会議員選挙に挑戦していた。地盤も看板もない中、なぜか中学受験塾が選挙活動を行うという、なんだかよくわからない展開だったが、その過程を少し振り返ってみたい。

 

おくぢ、選挙出るってよ

ある日突然、

「市議会議員選挙に出ようと思って」

とおくぢが言い出した。

全員の頭の中は??

私の記憶が正しければ、川崎にマンションを購入して住んでいるはずの彼が、

調布市から選挙に出るという。

そういえば、弟が転がり込んできたとか言っていたけれど、反対に追い出されたのかなとか余計なことを考えつつも、とりあえず納得。

しかも、話を聞いていくと、どうやら何かしらの政党?グループ?みたいなものから出るらしい。

この段階では、DGとしては、アンタッチャブルな案件なのかなというくらいの理解でいた。

 聞いたことのないものは胡散臭い

無事に、調布に住居を構えた。

立候補予定者説明会には、私が参加した。

まずは、膨大な資料とその分かりにくさに驚愕

立候補のハードルは意外とこんなところにあるのかもしれない。

この段階で、必要書類関係などをどうするかおくぢに打診。

「打診」という表現になっているのが、今回を象徴しているのだが、

通常の弊社の業務であれば、法令関係は私の仕事。

ポスター作製などの仕事も私の仕事。

ただ、この時点では彼はあるグループからの出馬を検討していたため、

私がこの段階でコミットしていいものかの判断が難しかった。

結果として、通常私がこなす仕事をおくぢ自身にのしかかることになり、候補者本人の負担が大きくなってしまったのは大きな反省

今になって思えば、この段階で、イニシアティブを持って参画していくべきであった。

さてさて、しかしながらどんでん返しがやってくる。

それは、結局、おくぢが無所属で出馬することになったのである。

というのも、保護者会などでお話しさせていただく限りにおいて、この政策グループの評判が頗る悪かったのである(笑)

もちろん、危ない政策を掲げているとか、メンバーがおかしいとかそんなことではなく、ただ単に聞いたことがない集団ということで。

やはり人は目にしたことのないもの、耳にしたことのないものに関しては、どこか訝しんでしまう傾向があるようだ。

 

教室は選挙事務所!?

ということで、無事に!?無所属での出馬が決定したおくぢの拠点は、弊社となった。

空き教室は選挙事務所と化し、必要書類やポスターなどが並ぶ。

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もちろん、授業で使用する日については、その都度片付けるため、

事務所は、膨大な資料で大変なことになっていた(笑)

ただ、ここでもまだ不十分な点があった。

まだ弊社としてはまだ、“後方支援”だったのだ。

業務の空いた時間を見つけて、手伝えることがあれば手伝うというスタンス

私自身も、ポスティングの戦略、選挙演説の作成などには参画するも、立候補に向けた書類の整備や全方向的な戦略については、そこまでタッチしていなかった。

このときは、選挙というものがどういうものなのか私たち自身は誰も理解できていなかったのかもしれない。

 

274か所ってどうするんだよ?

では、いつスイッチが入ったか。

それは、選挙のポスター張りである。

調布市内には、274か所の選挙ポスター掲示板がある。

これを、DG4人+弟2人の合計6人で貼らなくてはいけない。

最も、我が家に2歳児もいるため、基本的には1人は子供の面倒にとられるし、本人は遊説に出かけるため、実質4人。

4人である。はっきり言って狂気の沙汰(笑)

これを成し遂げたあたりから、やるなら勝つぞ!とDGのスイッチが入ったことは間違いない(遅いけれど(笑))

余計なことだが、恐らく「ヤル気」なんてものはこんなもので、

やはり一種の作業興奮に過ぎないのだと思った。

そこからは、連日、日付が変わるまで作業したり、議論したりの日々。

そういえば、一番スイッチが入った人が「田川」でしたね(笑)

政治家としてのおくぢの最大の欠点は「発信力の弱さ」

人柄の良さが滲み出て、演説場所も他候補者に譲ってしまうという事態に、

弊社の粛清隊長が満を持して登場。

そこからは、どちらが候補者か分からないほどの演説っぷり

ルールを守らない他候補者のバトルなど、

その武勇伝を上げれば枚挙に暇がないほど(笑)

結果としては、当選することはできず、1000票にあと1票到達しなかったけれど、

ちょっとしたDGとしての底力は見せられたのかもしれないと感じた。

 

やってみて思ったこと

一番に思ったことは、DGとして最初からチャレンジしてみたかったということ。

選挙活動という新しいことを通じて感じたのだが、私たちDG4人衆は、それぞれ得意としていることが本当に異なる。

そして、得意とする領域以外は、結構ポンコツだったりする(笑)

例えば、私は今回段取りや司令部的な役割が縮小されていたため、特に前半では、機能していたとは思えないし、ポスター張りで大活躍の櫻井は街頭演説では機能しない。

4人が相互に補完しあいながら、得意な部分を活かしていけることが、やはり会社にとって一番良い形なのだと再確認した。

その意味では、もしリベンジがあるならば、4人が結集して力と知恵を出し合って一つの形にしてみたいと切に思った。

次に、「新しいチャレンジ」は楽しいということ。

ボードゲーム系の事業とか、幼児教育とか、学童とか、もちろんこれらも新しい事業で、中学生コースを作ったり、今年からはDGベースやらDGトークンやら始めたりしたけれど、やはりどこか既存の延長線上にある何かだったりする。

それはそれで大切なのだけれど、“狂気”を生み出すほどの熱量が足りなかったのは確か。

それは、事業内容自体の問題ではないのだと思うが、今一度、立ち返って、

私たちを取り囲む空気として“狂気”が立ち込めるほどなのかどうかをしっかりと確認したい。

思えば、私がこの会社に参画したときなんて、イベント前はみんな平気で徹夜してましたねぇ(笑)

ワークライフバランスなんて言葉もあって、子供出来て、色々と考えることはあるけれど、やはり大人の狂気を子供に見せ、感じてもらえる環境ってとても大切だと思う。

熱量が凝縮している空間こそ、小さな会社の最大の魅力ではなかろうか。

最後に、上のことと少しかぶるのだが、「999」票の持つ意味だ。

あと「1票」でキリのよい「1000票」。

しかし、私たちはこの「あと1票」を取ることができなかった

ここには、きっと何かしらの意味がある。

というか、意味があると思っている。

この「1票」が何なのか、今の私にはわからない。

でも、きっとDGが次のステージへと駆け上る大切な「1票」なのだろう。

その「1票」を求めて、これからもいろんなことにアンテナを張っていきたい。

たぶん、その「1票」は、「新しいこと」とかそういう綺麗な響きの中ではないどこかにあるのような気がしている。

 

そういえば、私は中学の時に…

実は、今でこそこんな身なりなのですが、中学の時に生徒会選挙に立候補し、当選したことがあったのです。

当時は、クラスから男女1人ずつを候補者として出さなくてはいけないルール。

その代表者を決めるクラス会。

漂ういつもと違う雰囲気。

そうです。私はハメられていたのです(笑)

気が付くと、男子代表について私以外のクラスメイトは、(いやこんな人たちをクラスメイトなどとよぶべきではない)全員私に投票しているではないですか。

あのときの、みんなのニヤニヤした顔は今でも思い出せますね(笑)

ここからも波瀾万丈

当時、少年野球のチームに所属していた私は部活に所属しておらず、組織票を持たない候補者。

当然、苦戦すると思っていたのだが、勝手にクラスの連中が組織票をまとめ始めたのです。。。

また、選挙活動で上級生のクラスに行ったときは大事件でした。

少年野球の先輩がいるクラスでは、

「トントン、失礼します」

「失礼するなら入るな!」

「この度、立候補致しました、私の名前は…」

「タスキ見ればわかるわ!」

みたいなやりとりが繰り広げられ、それがなぜだかそれなりに受けてしまったのです。

そして、最後の事件は、演説で起きました。

立候補者は原稿用紙2枚分の原稿を書き、先生のチェックを受けることになっていました。

しかし、当時、「先生」と呼ばれる人とあまり馬の合わなかった私は、原稿用紙1枚分しか書かず、先生のチェックを受けませんでした。

そして、壇上で、意気揚々と1枚の原稿用紙を広げると…

なんと間違えて白紙の方を持ってきてしまっていたではありませんか(笑)

当時から、人前で話すことは好きでしたから、それなりに事なきを得ましたが、

そんな感じで、他候補者とは演説のスタイルが明らかに違ったこともあり、

私の意に反して当選することになりました(笑)

得票数は知らされず、なぜだか当選者による話し合いによって役職を決めるという摩訶不思議なシステムによって、私は真面目でお嬢様の生徒会長の脇に控える副会長に相成りました。

もう随分昔の話でしたが、今となっては良き思い出です。

それ以上に、生徒会副会長までやっておきながら、高校からの野球推薦を中学校に断られたのは完全に黒歴史ですが。。。