何年も算数の授業をしていると、自然と蓄積されていくものがあります。
それは、授業中にしゃべる雑談。
例えば、濃度算で食塩水の話をするときは、海水の塩分濃度の話が鉄板です。
海水飲んだことある?しょっぱいよね。でもあれで3.5%なんだよ!
じゃあ授業に出てくる10%の食塩水とかどれだけ濃いんだろうね!
みたいな話を、受験生が毎年入れ替わっていくのをいいことに、毎年同じことを言っています。
しかしそれでも、話している方は少し飽きてくる。
そこで海水の話だけでは飽き足らず、ウユニ塩湖とか死海とかの話も授業前に調べ、話題のレパートリーに加えていきます。
で、こんなことを何年も繰り返していくと、食塩水に関する話題には事欠かない状態になります。
そのような状態でまた濃度算の授業をします。
例年通り海水の話をすると、いろいろな本を読んでいる生徒から「死海」という単語が出てきたとしましょう。
大多数の生徒は死海を知らず、他の一部の生徒も名前を聞いたことがある程度。そこに、待ってました!とばかりに死海の雑談を始める先生(私)。
これを生徒目線で見ると、私はまるで話題の豊富な、アドリブ力の高い先生に見えてしまうのです。
調べれば調べるほど行ってみたい、死海。
本来、私はアドリブなどには非常に弱い人間です。
ですが、授業内容が濃度算だとわかっていれば、いくらかの話題を用意しておくことができます。
自分で用意した授業で、自分で用意したテーマを話す。
それは言わば、偽りのアドリブ力。
食塩の話を海ではなく料理の方向に持っていかれてしまえば、あっという間に綻んでしまうような、脆いアドリブ力です。
食塩の話は一例ですが、私のような、素の状態では話題の提供ができない人間は、あらかじめ用意した話題で授業を盛り上げるしかないのです。
ですが、これによって濃度算が少しでも生徒の記憶に残るのであれば、これからも台本を用意しましょう。
しかし、話題を用意しすぎると、それはそれでこんな問題点も。
せっかく用意した話題ですから、やっぱり話したくなりますよね・・・。
誘惑に負けて、多少流れを強引に変えて、話してしまうのです。
すると(技量は上がっているので)授業進行は年々早くなっているはずなのに、余計な話の時間が増えていくので結果的に授業時間がギリギリになってしまう始末。
私の授業がいつも押してしまうのは、こういうところですかね・・・。