こんにちは。早いもので今年ももう6月。
つい最近まで受験シーズンでバタバタしていたと思ったのですが、気が付けばあと半年ちょっとで次の受験シーズン。
本当に月日が経つのは早いものです。
そして受験を横で見ているだけの立場である私でもこれだけ時間経過が早いのですから・・・
現役受験生の皆さん!
受験まであと半年とか思っていると、気が付いたら受験日を迎えていますよ!
この半年はあっという間ですよ!
本当に、あっという間ですよ!
(受験を終えた生徒に聞いてみると、毎年かなりの数の生徒が「あっという間だった!」と答えます。)
1日の長さに規則はあるのか
そもそも1日の長さは24時間で、365日ずっと変わりません。
(厳密にいうともうちょっと込み入った話になりますが、今回のテーマとずれるので置いておきます。)
しかし、感じる長さとしては長い日と短い日があるように思えます。
この1週間を思い出してみるだけでも、短かった日と長かった日があるように感じます。
どのような日を長く感じ、どのような日を短く感じるか。
もしそれが分かれば、こういうことができます。
仮に自分の寿命がもう定まっているものとして、長生きしたいのであれば、
「1日を長く感じる日」を増やせば、相対的に人生を長く感じることができます!
特に、規則正しくない生活を送り、食品の好き嫌いも多い私のような人間にとっては重要な事案となります。
逆に「1日を短く感じる日」を増やしてしまうと、人生あっという間に感じることでしょう。
そこで試しに、私自身の先週1週間の実生活において、「1日が短かった日」と「1日が長かった日」をそれぞれ挙げてみると、
「1日が短かった日」
・合計12時間以上寝ていた月曜日
・資料作製があった火曜日
・ボドゲをしていた木曜日
・授業日+作製日の土曜日
「1日が長かった日」
・メインの授業日である日曜日
・ブログの書き方講座を受けていた水曜日
・家庭用ゲーム機でずっとゲームをしていた金曜日
このようになりました。
まず、そもそもの実稼働時間が短い月曜日は、そりゃ短く感じるでしょ!
いつも日曜日にぐったりしすぎて、月曜日は使い物にならない自分です・・・。
「短く感じる日」については、火曜日と土曜日は資料作製という共通点があります。
算数や数学の資料を作る分には特に頭を使わなくてもできるので、時間との勝負という観点から短く感じているのだと思われます。
一方で、同じ作製でもブログ作成の水曜日は、長く感じました。
新しい課題を与えられ、その都度思考を巡らせる作業は、比較的長く感じるのでしょうか?
また、日曜日については、朝から夜まで何かしらの授業に携わっているものですから、試験時間や間違い直し時間が、生徒を待つ時間として、長く感じる要因になっているものと思われます。
待ち合わせに遅れた人を待つ時間って、長く感じますよね・・・。
まぁ、これを「生徒のために使う時間」と解釈すれば、塾講師の仕事を遂行していることになりますね。
こう見えてもちゃんと仕事しているのです!
そして木曜日と金曜日。
ボードゲームで遊んでいた木曜日は短く、電源ゲームで遊んでいた金曜日は長く感じています。
これについては注釈がありまして、
・木曜日に遊んだゲームは初めて遊ぶゲームで思考が必要なもの
・金曜日に遊んだゲームはひたすら積んでいく手慣れたパズルゲーム
でした。
ボドゲだから、電子ゲームだから、というのはたぶん関係無いかと思います。
しかしそうなると、
・作製→頭を使わない単純作業の日は短く、頭を使う作業は長く感じる。
・ゲーム→思考を伴う新規ゲームは短く、惰性でできるパズルゲームは長く感じる。
というように、頭の使用率と時間の感じ方が相反した感じ方になっているように思われます。
これはつまり、
・つらさを感じる「作業」については、つらさが強いほど時間を長く感じる
・楽しさを感じる「ゲーム」については、楽しさが強いほど時間を短く感じる
ということです。
確かに実感としてはしっくりくる部分があります。
以上のことから、先に挙げた「相対的長生き」を実行するには、
・できるだけつらさを感じる作業をたくさんする
・できるだけ楽しさを感じないゲームをする
・できるだけ寝ないで意識を保つ
・できるだけ自分以外の人のために時間を使う
このようになりました。
・・・世知辛い人生ですね。
ちょっとこれではハードモードですので、人生、適度につらく、適度に楽しいくらいがちょうどよさそう。
何事もバランスが大事です。
ということで、久々のブログ更新でした。
更新作業は非常に長く感じられました。
来週もよろしくお願いします。
人生を長く楽しく感じる方法、随時募集しております。