世にはどうしても片付けができない人種というものがおりまして、かくいう私もそういった類の人間でございます。
パッと私の足元を見ただけでも、2年切れのサプリメント、催眠術練習用の蝋燭・線香、脳に電流を流すデバイス、半分減ったポケットティッシュ、巨大なプラスチック板、菌床用オーツ麦・・・いつ使ったかいつ買ったか分からないものが散乱している状態です。
努力すれば~、工夫すれば~、などと(掃除ごとだけに)綺麗事をのたまう人間は多いのですが、片付けと向き合わなかただけでそこまで差が出てなるものか!というのが私の見解です。「できない人間は存在する」と認識するところから世界平和は始まるのです。
さて、 今週のお題「捨てたい物」 です。このテーマが出たときに、ちょうど愛する友人(末〇)の後輩(以下、師)を思い出したのでふと書いてみようと思った次第です。師す。
(と、いうことでこの記事はメソッドでなく心構え、雑談となります。結論は、掃除は外注に限る、です)
師は私の愛する友人(〇廣)の後輩であり、名門高校を3年で卒業した傑物であります。私の愛する友人(以下、S)のマネージャーを務めたこともある有能な女性です。
Sの後輩である師の掃除人(スイーパー)としての実績は多岐に亘り、代表的なものに恋人の修論、恋人の財布を(意図せず)こんまりしたというものがあります。常人とはスケールが違います。ちなみに、その恋人は断捨離せずに幸せな家庭を築いておるようです。
畏れ多くも師は、彼女の先輩(S)を引き連れて私の掃除に来てくださいました。我が家で宴を行うにあたり、掃除が必要だったのです。
師とその先輩Sは高校からの固い絆で結ばれておりましたが、私と師は職場の同僚程度でありました。だからでありましょうか、師の捨てっぷりがそれはもう潔く、次から次へとゴミ袋へとブッコんでゆくのです。
ゴミ捨ての神髄はそこにありました。片付けができない人間は、ごみを認識できないだけでなく、モノに対して複数のラベルを貼っております。それが脳のメモリを圧迫し、捨てる捨てないの判断に多大な労力がかかるのです。
師はSの敏腕マネージャーだった経歴を持つ才女です。処理速度が高いのはもちろんのこと、無用なラベルをつけて判断に迷わぬよう悪即斬していたのです。
師は薩摩おごじょでありますし、Sの後輩でもあります。もちろん、私に気を遣うことも忘れません。
「奥地さん、これ捨ててもいいですか」と確認してくださることもあります。そういった場合、私が振り向いた時には既にゴミ袋に収納されておりました。(私はそのとき、「ですか」は疑問文でなくても使えるという気付きを得ました。)
と、いうことで片付けができない人は早々に外注したほうが良いのです。僕らが愛着をもって保管してあるものは、赤の他人からしたら執着でしかありません。さっさとゴミ袋に詰め込んで、玄関前に積んでしまいましょう。