塾講師、かく語りき

塾講師、かく語りき

合同会社ディープグラウンド(DG)が運営する、京王線千歳烏山駅にある中学受験塾、烏山進学教室。講師が語る、学問に関係あることないこと。

「みんなが言ってるから」って悪いこと?

夏期講習が終わっておよそ2週間。ついに9月になりました。

夜のうだるような暑さが徐々に緩和され、過ごしやすい季節になってきましたね。いよいよ秋目前といったところです。

 

といえば先日、食欲の秋に関して生徒とこんなやり取りがありました。

 

「どうして秋は食欲が増すんだと思う?」と生徒にたずねてみたところ、

 

生徒①「おいしいものが多いから」

その通り、秋になると多くの農産物がを迎えます。

店頭においしそうな果物が並んでいると、つい買いたくなってしまいますね。

模範解答に近い回答と言えます。

 

生徒②「夏にあんまり食べなかったから」

これもそう。夏の暑い時期はどうしても食欲が減退してしまいます。

秋になって涼しくなると、これまでの分も取り返すかのような勢いで食べてしまいますよね。

 

そして、気になったのはこの回答。

生徒③「みんなが食欲が出てくるって言ってるから」

まわりの人に釣られて食欲が出てくる説。

他の生徒は面白がっていた回答でしたが、当人曰く「だれかがおなかすいたって言ったら、自分もすいてくるじゃん」だそうです。

 

私も最初は「試験でそんなこと答えたら点数入らないな・・・」なんてことを考えていましたが、改めて考えてみると、なるほど、一理あるような気がします。

 

 

さかのぼること約1か月

7月の終わり頃に「土用丑の日」がありました。

大量のウナギが店先に並び、蒲焼きのにおいが町中に溢れます。

近所のウナギ屋さんでは、店の外に網を並べてウナギを焼いていたり、お弁当を販売したりしていました。

 

では、どうして土用の丑の日にはウナギを食べるのでしょう。

 

調べるとすぐに出てきます。

ウナギ屋さんが土用の丑の日にはウナギを食べよう!」と言い始めたからですね。

江戸時代から始まったこの風習が、現代にも伝わっているのです。

7月に入ると、ウナギの予約が始まったり、ウナギ絶滅の話が上がってきたりしていますが、そうして少しずつ雰囲気が盛り上がり、丑の日には飛ぶようにウナギが消費されていくわけです。

こうして毎年同じ時期にみんながウナギを食べることになるわけですね。

 

 

でもそれって、本当にウナギを食べたくて食べているのでしょうか?

実は周囲の環境に作られた「食べたい」なのではないでしょうか。

 

たしかに、目の前にウナギを差し出されたら、ほとんどの人がウナギ食べたい!と思うでしょう。(私はウナギが苦手なので例外ですが。)

ですが逆に、差し出されなければ、ウナギを食べたいという思考にならないかもしれません。

もしも7月にウナギの広告を一切出さず、だれもウナギに関する話を全くしない土用の丑の日を迎えたら、ウナギを食べずに丑の日を過ごす人も多いと思います。

ウナギ以外にもおいしいものはいっぱいありますからね。

 

 

ですから、

「どうして土用丑の日にウナギを食べるの?」

という質問に対する答えが

「周囲がウナギウナギ言ってるから」

だとしても、それほどおかしくはないということになりそうです。

 

あ、決して日本の古くからの習慣を否定しているわけではありません。

多くの人がウナギ好きで、多くの人が同じ日にウナギ食べたい!と思うのは理解しています。

 

 

さて、話をに戻します。

「秋に食欲が増すのは、みんなが秋だ秋だと言っているから。」

この回答は、100点がもらえるものではありませんが、一考の価値がある回答だと私は思います。

(ウナギと違って話がややこしいのは、秋に食欲が増進するそれっぽい理由が他にもたくさんあることですね。)

特に日本人は周囲の様子をうかがって動向を決める傾向がありますから、日本人としてはむしろ正しい感性なのでしょう。

他にも恵方巻き」とか「バレンタインチョコ」も、その時期の雰囲気に合わせてみんなが食べるもののような気がしますね。

 

 

で、ここからむりやり塾の話に持っていくと、受験生が勉強をする環境は主に3つ。

「学校」「自宅」「塾」です。

このうち「学校」「自宅」は全員が持つ場所であるのに対し、「塾」利用している人としていない人がいます。お金もかかりますし、遊ぶ時間が減ってしまいますからね。

「塾で勉強する」ことの、「学校で勉強する」「自宅で勉強する」ことに対する優位点として挙げられるのは、

「周囲の同級生が全員受験生で、全員が「勉強しなきゃ」と言っている」ことではないでしょうか。

 

塾に来た生徒は勉強をします。

それを見て、

他の生徒も勉強をします。

 

生徒たちが、お互いに「勉強に向かう雰囲気」のある空間を作り出しているのです。

塾という場所に求められているのは、勉強指導以外にもこういった部分もあるでしょう。

 

 

「みんなが言ってるから」は、どちらかというと悪い方向性で使われることの多い言葉のように思います。

「みんなが言ってるから」で行動を決定した人は、自分の意思が無いと言われ、時に冷たい目線を向けられることもあります。

「みんなが言ってるから」の後に続く言葉は、明確な根拠のない情報だったり、本当は悪いことだとわかってはいるけどついやってしまうようなことだったり、あまり良いものでないことが多いですね。

 

 

ですが、「みんなが言ってるから」という接頭語には、そもそもプラスの意味もマイナスの意味もありません。後に続く言葉は良いことだって全然かまわないのです。

むしろ良い事であれば積極的に取り入れるべきです。

他人に迷惑をかけず、自分にとっても良いことなのであれば、みんなが言ってることに身を任せても悪くはないですね。