来月、妹が上京してくる。
〇林大学付属病院に勤務するらしい。
「何とかなんとか士」と、「ナントカ何とか士」の資格を持つ妹は、
思いのほか、好待遇で迎えられるようだ。
妹に似ている、と言われたことは、人生で一度もない。
それもそのはず、妹の誕生日を先に覚えたのは妻の方であるくらいだ(笑)
兄の威厳もあったものではない。
性格も正反対そのもの。
私が懇意にさせていただいている皆様、私の反対の妹です。
真面目、小心者、キノコが嫌い。
共通事項と言えば、ピーマンが嫌いなことくらいだ。
ただ、この辺りにはいくつか理由がありそうで、
キノコに関しては、私が妹の分まで食べていたようだ。
ピーマンに関しては、私が嫌いなために食卓にのぼらない。
一度、食卓に顔を見せる機会があったようだが、
「なぜ、嫌いなものをわざわざ食べさせようとするのか」
「食べないと言い出すことは予見できなかったのか」
「栄養の話をするが、代替不可能なものか、栄養士とはその程度のものか」
(実母は栄養士の資格保持者です。)
という小学生らしからぬ詰問の結果、我が家の食卓から、
ピーマンは姿形を消したらしい。
さて、そんな実妹の状況に際して、両親からの電話が頻繁に届く。
「面倒見てやってくれ」
「あいつは騙されそうだから不動産屋は一緒に言ってやってくれ」
「家具や家電も早めに決めてやってくれ」
「お金が足りなかったら…」
19歳の末廣少年は、一人、あったこともない親戚を頼りに、
上京後の住処を決めるべく、未だ見ぬ親戚を頼りに上京した。
現在の我が家では、奨学金を元手に購入した食器棚が、
長女よりも顔をきかせている。
別に、不満はない。
むしろ、不干渉でいてくれた両親に感謝している。
もしかしたら、平等とはこんなものかもしれない。
形式的な平等に固執せず、個人の資質に必要な範囲という意味での平等。
形だけの平等に終始するのは、現状に対する悲観が形を変えているに過ぎないのかもしれない。
我が家の次女は、七ヶ月にして、既につかまり立ちを始め、
豆腐などに積極的に食指を伸ばしている。
その横で、長女は、キュウリを口にしながら、
天真爛漫に、所狭しとリビングを駆け回っている。
はたして、我が家の子育ては“平等”なものになりうるのだろうか。