塾講師、かく語りき

塾講師、かく語りき

合同会社ディープグラウンド(DG)が運営する、京王線千歳烏山駅にある中学受験塾、烏山進学教室。講師が語る、学問に関係あることないこと。

「叱ってくれる」こと

娘よ・・・お前か。

 

娘の独り言

『体操教室の〇〇先生、最近好きになったんだよね~』

 

((ん??最近??))

「え?嫌いだったの?」

『うん・・・』

「なんで?ママはあの先生めちゃ好きなんだけど?」

『だって怒るから・・・』

((!!!!!!!Oh、My God!!!))

 

まぁ、子供なんてこんなもんよね(笑)

 

とりあえず〇〇先生のすばらしさについてトクトクと語る

 

“怒る”“叱る”“注意全然違うもので、O先生は注意したことはあっても叱ったことも起こったこともない。

英奈に限らず、他の子にもそんなことは見たことがないということを言うと、

彼女の中で3つの言葉のニュアンスの違いが何となくイメージが着いたのか、

「確かに、怒ったことないや!」となってホッと一安心。

 

①今聞いてなかったでしょ~!話ちゃんと聞いててね!

②前の人のするのを見てて!一人だけ違うことしているよ!

③まっすぐ立って!フラフラしない!

④ふざけないでちゃんとする!ケガするよ!

 

これは、注意であって、怒っていないぞ・・・娘よ。

ってか、ママにいつも怒鳴られてんじゃん(^-^;

それに比べたら女神様だよ(笑)

 

そういえば、行かせている体操教室は、一部でめちゃ厳しいという噂になっているようで、時々通わせていることを驚かれることがある。

 

「ハナちゃんって、あそこの体操教室通ってるんでしょ?やっぱ厳しい?」

「え?全然厳しくないよ~!むしろ優しい!イイ体操教室だよ~」

 

私はいい体操教室だと思っているため、訂正していいところだと宣伝するけど、だれも入らないんだよね(笑)

でも、書きながら、今思ったんだけど、

仮に“厳しい”場所だとして、それを避けているような輩に入会されても困るだろうし、まぁいいか。

 

気付き

最近色々なママさんと話していて気が付いたのだが、

どうやら

「ちゃんと」やるさせる

ということが、紙一重厳しいと思われるようだ。

 

それって、哀しい。そして怖い。

親が色々なことを俯瞰して考えられるレベルにいないと、こういったところに支障が出てくるようだ。

本当に親って責任重大だ。

 

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サービスを受ける人とお金を支払う人が違う難しさ

ここで、子供の話に戻るが、

私の中では、「怒る人」というのは、自分が子供にブチギレしていることを基準に

怒鳴っていることをイメージする。

だから、子供の

「怒るからあまり好きじゃない」という言葉にゾッとした。

私はいつも体操教室を見学しているので、O先生のことが分かっているからいいようなものの、見ていなかったら「へ~。O先生っていう怒る先生がいるんだね」になっていただろう。

 

子供にとっては怒らない(注意しない)先生が「最高の先生」で、怒る・叱る・注意する先生は「嫌な存在」となるのだ。

 

これが子供相手の難しさだなと思うことがある。

サービス業だけど、教育は教育的な面も大事で、子供のためになるという信念のもとに

時には嫌られるようなこともしなけりゃいけない場合もあると思うのだ。

たま~に変なものいると思うが、そういうこともひっくるめて

「子供のために+か-か」の判断も親の大事な仕事で、親のウツワが問われる。

 

「怒ってくれる」こと

ある程度精神的に大人になってきた6年生の生徒に話をすることがある。

 

「叱ってくれる」ということがどれほどありがたいか考えてほしい。

もちろん、変なのもたくさんいる。大人だからって正しいわけではない。

でも、ある程度大人になったらだれも「叱ってくれない」よ。

「あ~君はそんなやつなのか。この程度なのか~」でおしまいということがほとんど。

「叱る」のは「言ったら成長してくれる」という期待が前提だからね。

言っても意味ない奴には何も言わない。だって意味ないし、面倒だもん。

だから、親以外で「叱ってくれる」人は貴重だよ☆

言われたことにムカつくかどうかはさておき、自分のために言ってくれているかどうかは感じるものがあるじゃん?

その上で、ただの押し付けだと思ったり、納得いかないのであれば議論すればいい。

もう10歳越えてるんだから、

「怒られた。ムカつく。嫌い」

とか低レベルなこと止めろよ。

 

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