末廣は元高校球児
夏の風物詩、甲子園がそろそろ幕を開ける。
今となっては、面影すらない体型と髪型に驚きを隠せない方もいらっしゃることかとは思いますが、私末廣は、高校球児だった過去があります(笑)
ちょっとだけ自慢を致しますと、公式戦のデビューは、1年生の5月に行われる「招待野球」というもので、同世代で一番最初に鴨池の土を踏んだわけです。
(写真は母校のイメージです。私の代ではありません。)
それにも関わらず、最後の夏に試合に出ることができなかったのは黒歴史でしかないけれど(笑)
昔から、「王道」を歩むことができない性分なのであろう。
高校野球の監督をしてみたい
さて、私は今の職業というか、「経営以外にやりたいものがあるか」と問われれば、
真っ先に「高校野球の監督」と答えている。
(万が一、高校野球の監督になる機会があれば、リトルリーグ時代の後輩を参謀にする手はずとなっている)
最後の夏、私は主力組から外れていた。
紅白戦では、「レギュラー」対「補欠」
私は、「補欠」のプレイングマネージャー。
信じられないかもしれないが、普通にレギュラー組に勝っていた(笑)
こういう性格なので、学校としてのプレイスタイルというか、通常公式戦で使われるはずの戦術はガン無視!!
純粋に「勝つため」にやっていた。
レギュラーとして試合に出れば、まずありえない戦略を敢行。
(送りバントをしないとか、満塁だろうがスクイズをするとか。しかも最初からツーラン前提。)
結果として、勝率はレギュラーより高かった。
当時は、冗談も含め勝率の高い補欠組は「末廣ジャパン」と呼ばれていた(笑)
あと一つだけ。
普段は味方だが、やじりまくった(爆)
勉強にもいえること
さてさて、そういうわけで、「高校野球の監督になったら~」というのは、
時折、真剣にシュミレーションすることがある。
そのときに考えることは色々とあるのだが、例えば選手のスカウト。
どのように選手のスカウトをするか。
それは、単純に「投手」をできる限り多く集めるということ。
O桐蔭のように各ポジションのエキスパートを集めることが不可能との前提に立って考えてみたい。
学生野球において投手と言うのは、「走」、「肩」に優れていることが多い。
そうであるならば、たいていのポジションは賄えるはずだ。
あとは、「坊主頭」に指導者が切れまくる。
これに一生懸命に答えるのって意味あるんですかね?と現代っ子の心に訴えかけ、能力があり、自由気質な生徒を集めれば、5年以内の甲子園も見えてくるかもしれない。
これは、実は勉強の世界でも似ている。
「読解力」のある子は、勉強においては他教科に対する適応能力が高い。
「読解力」とは、「読書の数」を言うのではないことは言うまでもない。
「書いてあること」を「客観的に」理解できることを言う。
そして、この客観性には、「(日本人としての常識的)推測」も要求される。
例えば、先日の小学5年生の国語の授業。
素材は「泣いた赤鬼」
詳細はこちら
弊社での発問の一つ。
「青鬼が姿を消したのはなぜですか?」
これに対して、一定数あった答え。
「赤鬼だけが人間と仲良くしてムカついた」
「!?」
事実は小説よりも奇なりである。
最終的には、小学校の道徳教育のおかげで、
「見た目で判断してはいけない」という、
小学校の教員が花まるを付けそうだけれど、的外れな解答が。。。
もちろん、意見として、彼女たちの封殺するつもりは毛頭ない。
ただ、その場合、「赤鬼と人間の関係を慮って」という一般的な関係を看過すべきではない。
ここでの問題は、一般的な、恐らく「客観的な」読解ができない点にある。
こういう生徒は、速さの問題でも、平気で電車の速さを時速960キロとか表記してくる。
もちろん、こうした生徒も救い上げるのが「塾」としての命題であって、
「中学受験のalternative」を掲げる弊社として、ここが見せどころではあろう。
ただ、ただ、しかしである。
「中学受験を志す層」が「客観的な読解」で苦戦しているというのは、
マクロでみれば大問題であるはずだ。
などと大きなことを考えながらも、
「高校野球の監督になったらサインどうしようかな。選手は覚えらるかな」
とか
「閃いた!『一文タイムレース』と称して、一文を客観的に読み取れるか確認できる小テストを創ろう」
とか、
色々と考えを巡らせている。
現段階でいることは、また一つ、オリジナル教材が増えそうである(笑)