塾講師、かく語りき

塾講師、かく語りき

合同会社ディープグラウンド(DG)が運営する、京王線千歳烏山駅にある中学受験塾、烏山進学教室。講師が語る、学問に関係あることないこと。

中学受験講師が考える「習い事」について

長女は噂の…

今年年長の長女は、最近前転ができるようになったらしい。

目下、後転に挑戦中

運動する際、「肩」に力が入りやすい点は、

運動部出身の両親からはもどかしさを禁じえないが、

それでも、自分なりにできるようになろうとしているので、あまり口出しせずに見ている。

そうそう。我が家の長女は現在体操教室に週2回通っている。

一時、時の人となった某有名夫妻が経営する体操教室である。

f:id:dg-daiyo:20190407140340j:plain

私も一度だけ見に行ったことがあるが、某夫妻は楽しそうに温かい目で子供たちを見つめ、ときに子供たちと一緒になって駆け回っていて、マスコミのイメージというのも恐ろしいものがあるなと再認識したしだい。

たぶん、体操教室の中では、私の方がずっと怪しかっただろう(笑)

なぜ体操教室だったのか

この仕事をしていてよく聞かれること。それは、

「習い事って何させたらいい?」

私の結論。

何でもOK。

何をしたから賢くなるとか、そんな単純な話ではなく、本人が興味を持つものなら、まずはそれで充分。

ということで、我が家がなぜ体操教室だったのかという点に関しては、

「なんとなく(笑)」

ちょっとカッコ悪いので変更すると、

「娘が好きそうだったから」

というのが正解になる。

もしかするとサッカーだったかもしれないし、テニスだったかもしれない。

ちなみに、文科系には全く無頓着な私たち夫婦は、どうしてもそちら方面の習い事に対するアクセスは強くない。

それがいいのか悪いのかわからないけれど、やはり親の影響というのは避けられないものなのだなぁとつくづく思う。

もっとも、芸術的な部分は遺伝的要素が大きいと言われていて、その意味では、これでいいのかもしれない。

今のところ、長女は私と違って絵は比較的うまい。歌は…。

どこでやるか問題

習い事が決まって、次にどこでやるかということ。

もっとも、この部分は分かれていなくて「ここにする?」みたいなパターンも十分にあるとは思うけれど。

体育会系の我が夫婦が選ぶ基準は一つ。

「やるならちゃんとやれるところ」

この「ちゃんと」は個人的には「プロ」が視野に入ることを意味している。

「プロ」になれる確率がそう高くないことを、少年野球出身の私は十分に知っている。

私自身、中学で自分はプロ野球選手になれないことを身に染みて感じた。

ただ、そういう人間が周囲にいる環境とそうでない環境は、雲泥の差があると思っていて、これ自体に習い事をさせることの意味の一つがここにあるのではないかと思っている。

「自分には敵わない」という相手に出会うこと、それは人生にとって必ず有意義なものになると思っている。

「それでは、自己肯定感が~」とかどっかから聞こえてきそうだが、その程度の自己肯定感なんて早かれ遅かれ木っ端微塵になることは間違いない(笑)

「今の自分では通用しない」というところから、子どもたちが何を考え、どう行動するか、ここが楽しみで、私たちは習い事を習わせている。

勿論、「習い事」なんて各家庭の色が色濃く出る案件であって、

他人が口出しするものではないのだろうけれど、

敢えて何か言うとするならば、「何のためにやらせているか」少し考えてみても悪くない。

それが、「子どもが楽しそうにしているから」であっても、

「子どもの将来のためであっても」

はたまた「子どもの教養のため」なんていうのもあるのかもしれないが、

その理由と習い事が合っているのならそれでよい。

「進学塾」という習い事

私はよく見出しのような言葉を用いる。

「塾」も習い事の一つ。何ら、他のものと特別視する必要はない。

勉強だから殊更にストレスが溜まるということもないし、ましてかわいそうということもない。

他の習い事と同じように、時にリフレッシュも必要だろうし、壁にもぶつかるだろし、懸命に取り組む姿は称賛に値するだろう。

そして、習い事によっては、「選手コース」があるように、

「中学受験」を目的とした「進学塾」という習い事がある。

ただし、「目的」によっては、相応の覚悟が要求される。

それは、当事者である子供自身にも。サポート役である保護者の方にも。

いつも子供が自分から進んで取り組むというのは、ある意味で幻想にすぎないと言えるかもしれない。

特に、小学生の場合には、多かれ少なかれ波が合って当然と言えよう。

あまりこういう表現は好きではないのだけれど、それでも、

同じ習い事に楽しむだけの習い事選手コースには差があるように、

中学受験を「目指す」場合と「視野に入れるにとどまる」場合では、

やはり相応の差があるというほかない。

ただ、多感な時期に受験勉強を行うからこそ得られるものも決して少なくはないはずだ。

もちろん、基本的な教科知識、勉強の仕方、こうしたものは来るべき学生生活で必ずや役に立つ。

それ以上に、「考える習慣をつけること」

「情報を読み解き、整理し、発信すること」

「自分を律すること」などは、学生生活のみならず、その後の人生をより有意義なものとしてくれることに疑いの余地はないだろう。

 

DGは進学塾です

う~ん。何だかいつもに増して固い内容になってしまった。。。

入会説明の面談が金髪にパーカーだったり、授業終了後の演習時間には教室に姉妹がいたり教室入ってすぐのところにはガチャガチャがあったりするのですが、

DGは「進学塾」なので、勉強に関してはガチなのです(笑)

alternativeな「進学塾」を目指して、

システムやら教材やらはかなり独自の路線をとっていますが、

これからも、目の前の問題を自分なりに真剣に考え抜くことができる生徒を一人でも多く輩出していきます!