記憶のかなたってどこだろう
年齢のせいなのか、はたまたお酒の飲みすぎか、
いやいや、そもそもそんなもんだろ!
何の話かというと、私の「記憶力」の話である。
年々低下してきているように感じていて、
それを補うべく、自分の持ち物は基本的にアドレスを決めるようにしている。
ただ、ちょっとした頼まれごとなんてものは最悪で、3つほど頼まれるとかなりの高確率で1つは忘れてしまう。
玄関で靴を履くときに持ち物を忘れるなんてことは、“あるある”を通り越した“あるある”
である。
さて、長女はだいぶいろんなボードゲームができるようになってきたのだけれど、
先日、圧倒的な強さを発揮するゲームを発見。
それがこちら。
にわとりのしっぽ
これが、がっちり記憶系のゲームなのです(笑)
道順に従って、タイルをめくる変則神経衰弱。
これを…1周平気で覚えてしまうのだから、幼児の記憶力ってのもタチが悪い。。。
途中で、
「パパ、違うよ。こっちだよ。」
なんて情をかけられた際には、もう…(涙)
ちなみに、我が塾の精鋭(!?)たちとやらせてみたところ…
教員→全敗
受験生男子→全敗
という結果に。
受験生の中には、リベンジを果たしたものもいるらしいけれど、
大人は完全に戦意喪失(笑)
ただ、受験生の中に、今年は男子がいて、
その男子が苦し紛れに、喜ぶ我が娘に対して、
「うるせぇな。漢字も読めないくせに調子のんな!」
なんて言い出したわけです。
普段だったら、他人に対するこうした言葉遣いは徹底的に注意するのですが、
もう何となくお判りでしょうか?
我が娘なので放置しておりました。
すると、我が娘が
「ゲームに勝ったのに、漢字書けないくせにって言われたんだけど(怒)」
と、それはそれは大層ご立腹でいらっしゃいました(笑)
私は「で、漢字書けるの?書けないなら事実だからしょうがないんじゃない?」
と返しました(笑)
実は、このやり取りは3回目である。
1回目は「たし算できないくせに」
→おかげさまで、繰り上がりも含めて、ある程度たし算は頭の中できるようになった。
2回目は「かけ算できないくせに」
→かけ算は意味だけを教えて、その都度たし算することで、一応できる…かな?
ちなみに、少し脱線するのだが、「繰り上がりのやり方」とか「かけ算九九」は一切教えていない。
幼稚園生の今の時期に「スキル」を習得しても、そんなものは後からどうにでもなるもので、「そんなに意味はないのでは?」と考えていて。
そのあたりのお話はこちらから。
https://keio-juku-gakudo.hatenablog.jp/entry/2018/12/05/104600
「男子」とやらは単純で、幼児にも関係なくライバル意識を持つらしいが、
これはこれで使い道があって何より(笑)
親の予想通り、
「じゃあ漢字教えて(怒)」
と来たもので、我が娘ながら、こちらもなんと単純なことか。
DG的幼稚園児的漢字の学習
さて、漢字を学習するとなって、まずは妻がインターネットから無料プリントをダウンロード。
当然、「一」から始まるのだが、
「ひとつ」とか、「いっこ」とかいろんな読み仮名が振ってあり、そこに「一」を書き込むスタイル。
えっと~。
これってつまんなくないですか?(笑)
いや、誤解を避けるために言っておくと、小学一年生がこうした教材で漢字を学習し、定着させることは必要である。
ただ、こうした、「一」→「色んな使い方」みたいな、
演繹的というか、「抽象」から「具体」というか、こうした学問の王道ともいうべきスタイルが必要になるのはまだまだ先でOK。
まずは、具体的なものからやっていこう!
ということで、一番最初に娘が覚えた漢字は、
「東京」
看板など街中で目にする機会も多く、天気予報などで確認することで、より身近に感じることができればと考えたからだ。
また、天気予報は、「場所」や「形」という補助的な要素も多く、「漢字」を「音」と結びつけやすい。
今日は幼稚園で、引き取り訓練なるものがあったのだが、その帰りに看板の「東京」を読むことができたので、とりあえずは成功かな。
もちろん、「東」は「ひがし」とも読んで…みたいな話は一切していない。
してもいいとは思うのだが、とりあえず今は漢字への興味を創っていくのが最優先。
たぶん、「表意文字」としてではなく、「記号」として認識しているのだと思うが、今の時点ではそれでいい。
いつか、きちんと習うであろうその時に、無味乾燥な記号として認識するのではなく、興味を持って取り組むことができれば、万歳だ!
(漢字をひとつずつN回書け!みたいな宿題がないといいな(笑))
「田川先生の川」とか、「人間の人」とか、
読める漢字が増えてきているのは、本人も楽しいようだ。
自分から
「これなんて読むの?」
なんて聞いてくる機会も増えてきた。
そういえば、かねてから思っていることなのだが、漢字について、
学年なんて必要ない
と思っていて、出てきた漢字を片っ端から読んでいけばそれで十分ではないか。
網羅的でないし、試験的ではないけれど、コミュニケーションツールとしての「文字」なのだから。
毎日新聞で毎日新聞を
今週から、「毎日子供新聞」の購読を開始。
こちらの中でも目についた漢字については確認。
もちろん、受験生のように
「間違えたものはノートに書き写して…」なんてことはなく、
「読めないもの、知らないものは一つずつ辞書で確認」なんてこともない。
興味を持ちそうなものをこちらでピックアップしたり、
自分が気になったものをこちらに聞いてきたり。
今は、それのくり返しで、とりあえず毎朝新聞を手に取るようにしている。
塾講師は朝がゆっくりで何より(笑)
今のところは、毎日新聞を手にすることを習慣化するところまでは一緒にやって、その後はしばらく見守ろうかなと考え中。
「新聞の内容について口頭試問」なんて親はおもしろそうだけれど、
子どもからするとたぶんしんどいかな(笑)
それ以前に、興味を失って読まなくなる可能性も十分にあるわけで。
それはそれで、強制するようなものでもないかなとのんびり考えている。
親の立場からみた早期教育のメリット
「早期教育」という言葉自体、かなり好みではないのだが、
(何を基準に「早期」なのかよくわからん)
ここでは、「標準的に学校などで習うよりも早く教える」という意味で使いたい。
さて、この「早期教育」、実は親の側にもメリットがあるのでは?と思い始めた。
それは、何と言っても「心の余裕」である。
例えば、4歳児が5+3を指でやっていたとする。
注意する親はどれほどいるだろうか?
では、小学1年生では?
じゃあ小学2年生では?
お気づきのように、学年が上がるごとに、親の焦りが出始める。
「早期教育」とか言うと、なんだか「教育ママ」みたいで、鼻息荒い母親像を思い浮かべる方も少ないないだろう。
ただ、「早く始めること」は、その分、「子どもを待つことができる」ため、
子どもにとっても親にとってもメリットが大きいようにも思う。
もちろん、いつでも「子どもを待てる」達観された保護者様もいらっしゃるかとは思うが、私のような南国生まれのくせにせっかちな人間には、ちょっと現実的ではなかったりする。
「まだ早いかな。」
は意外と、
「何でまだ…」
の導線だったりするのかななんて考えてみたり。
ボードゲームという早期教育
我が娘が、ボードゲームの箱を手に取ってまずすることがある。
それは、「対象年齢」の確認だ。
そしてこう言う。
「これ8歳だからできるんじゃない?」
娘よ。
まだ、君は4歳だ(今月5歳)。
8歳というのは、君の倍の人生を歩んでいる先輩のことだよ(笑)
基本的には、ボードゲームの対象年齢は、
「これ8歳でできるの?」
みたいなものが多いのだが、確かに「8歳」表記の中にも、
今の娘が十分にできるゲームはある。
自分の中で「8歳」のゲームができたことが、自分の中で自信となっているのだろう。
ただ、安心してはいけないよ。
君の周りにいる大人たちは、何かしらネジが外れていて、
すでに「ローマ字」とか「割り算」とか新しいことがいっぱい待ち受けているからね(笑)