書ききれなかったのだ。
いよいよ今週。
書ききれなかったのだ。
いよいよ今週。
今週月曜日、関東は大雪に見舞われましたが、どのように過ごされましたでしょうか。
弊塾は直前期ということで平日も朝から自習教室を開放。
ですが、雪の勢いは徐々に強まり、電車が止まってしまう前に帰宅すべしと、自習教室は午後で解散。
結果手持ち無沙汰になった私は、帰りの電車をそのまま乗り越し、京王永山駅すぐの温泉へと足を延ばしました。
午後になりますます勢いを強める雪の中、露天風呂。絶景!
雪の降り積もる様を、暖かな湯船の中からゆっくり眺めていました。
降雪の最中にしか体験できない、貴重なお風呂でした。
地元秋田に帰ればいつでも体験できますけどね。
さて、入試本番まであと1週間。
雪が降っても槍が降っても、受験の日には必ず受験しないといけません。
この時期、もはや直前期恒例の詰めこみ期間。何でもいいから試験に役立ちそうな知識をあれこれかき集めて頭に叩き込まないといけません。
ということで私、現在「ハイレベル特訓」と称して、これまで塾で扱ってきた問題よりもグレードの高い難問を取り揃えた講座を担当しております。
参加者は塾生の中でも選りすぐりの精鋭たち。ですがその精鋭たちでもほとんど歯が立たないような問題ばかりです。
問題が難しすぎたかな・・・と思ったりすることもあります。
以前の記事にも書いた通り、難問のパターンは決まっています。
①いくつかの手順を正確に解いていくもの
②問題自体は単純だが、複雑な文章や図でカモフラージュされたもの
③複数の分野にまたがった解法が必要なもの
④まったく新しい発想力が必要なもの
今やっているハイレベル講座は、特に②③に対する力をつけるのが目的です。
※①は既にできることが前提となっています。
難しい問題の良い所は、1問解くだけで色々な要素を吸収できることですね。
1問の解説の中に、通常の問題2~3問分に値する要素が含まれていますので、単純に学習効果が高い。
そして、「割合」+「立体図形」や、「場合の数」+「速さ」など、つながっていなかった分野をつなげる発想が手に入ります。
そして生徒に必ず言っているのは、
「もしこの問題と初めて出会うのが本番だったなら、点数を落としていたはずだ」ということ。
これを聞いて生徒は逆に
「本番に出る可能性があるんだ・・・」という意識を持つことになります。
実際の試験内容はもちろん誰にも分かりませんから、今できることは、手を広げて解ける問題の範囲を広げることです。
そのためには多少難しくても内容盛りだくさんな問題の方が役に立ちます。
色々な問題に触れることのできるハイレベル特訓、おすすめです。
・・・が、実は本日がハイレベル特訓最終日。
あとは残り1回のレギュラー授業に全てを託しましょう。
泣いても笑ってもあと1週間。
この最後の期間は、悔いの残らないように勉強に打ち込んでほしいものです。
おまけ
【問題】
1702、4114、7030のように各位の数の和が10となる4けたの整数をつくります。このような4けたの整数は全部で何個ありますか。
(本日の講座の問題の改題です。)
整数問題?場合の数の問題?
はじめからかぞえることも不可能ではありませんが、試験時間がもったいないので、出来るだけ簡単な計算で解いてみてください。
雪である。
大雪である。
4年ぶりの大雪である。
4年前の大雪の日、長女をお腹に宿していた妻は、
入院した。
理由は水分不足である(笑)
金曜日に入院し、土日。
あまりの大雪に交通機関は麻痺。
授業などできるわけもなく、
日曜日は、休講の旨をサイボウズにて連絡。
翌日、早朝。
見慣れた猫背の男性が、雪の中をかき分けて弊社から出てくる。
塾長だ。
おかしい。
今日は休講だ。
なぜ、彼は横浜という遠方から、こんなにも早朝に、
しかも休講の日にいるのか。
答えは簡単である。
生徒愛に溢れる彼は、雪をものともせず率先して出社したのである。
サイボウズを確認する習慣が確立されていなかったのである(笑)
現代社会において必須となった様々な文明の利器は、
それが利用されることを前提としている点において、
時に残酷な仕打ちが待っていると知った。
その年の2月14日。
付き合って10年目のその日に、
婚姻届けなる名字をともにするための書面を提出した。
この日もまた、大雪であった。
大雪はいつも、何かしら予期せぬことをもたらす。
今年の大雪。
幸いにして月曜日は自習室設定日であったため、
午後からは解散し、早々に帰宅。
今回は、何も起こらない。
はずである。
夜になっても雪は降り続く。
外は20cmを超える大雪。
取り急ぎ、翌日の午前中を休講にする連絡をする。
翌朝。
南国育ちの私には縁のない、
妻が昨年ふるさと納税により得たバニラアイスの大箱を彷彿とさせる銀世界である。
「昼までには融けないな」
と直感し、金曜日(自習室開放日)との入れ替えを決定する。
しかし、ここには多少の問題があった。
直感の背景にあるべき、蓄積された経験が皆無だったのである。
結果、昼頃には道路はアスファルトが顔を出すことになり、
車や人の往来は可能となっていた。
道の通行が可能になると、妻と長女は買い物へ行く。
買い物が目的なのか、はたして、雪の中の散歩が目的なのかは、
この際、どちらでもよい。
1時間ほどして、4人で帰宅。
4人!?
芦花公園近辺に住む受講生を、拉致自宅で勉強させるというのだ。
さらに人数は増え、最終的に我が家には5人の生徒が。
これもまた一興。
と思える日が10日後に訪れていることを願っている。
僕のような一人暮らしが帰りにふらっとお買い物しても、ちゃんと部屋まで届けてくれる。
え、続きが知りたいって?
仕方ないなぁ。
http://www.pictaram.life/user/6850208396
ただし、更新はご飯食べて風呂入ったあと、11時ごろを予定しております。
連日に及ぶ平日講習に、疲れが雪のように深積していく今日この頃。
そんな時に私を助けてくれるのが、授業の合間に食べる甘味。
何を隠そう、私は甘いものが大好きです。
3食菓子パンいけます。
ですが最近、お店に並んでいるドーナツの袋をふと見てみると、そこに書かれていたカロリーがおよそ500キロカロリー・・・!
1個で軽い食事1食分のカロリー量を有しています。
たとえばこの500kcalを、通常の食事で摂っていれば、ビタミンやたんぱく質その他さまざまな栄養分を同時に摂取することができます。
しかしこれをドーナツで補給してしまうと、それらの栄養分が摂れません。
空っぽのコンテナを体内に運び込むようなものだと思いました。
で、そこで考える。
1日に体内に運び込めるコンテナ(カロリー)の数は決まっています。
そのコンテナに有効な成分を選んで積みこみ、各種栄養分が不足しないように体内に運び込みます。
これってゲームっぽくない?
ルールとしては、多分こんな感じかなと。
・1ターンの制限が2000kcalで、飲食物にはそれぞれカロリーと栄養素が設定されている。
・朝昼夕の3食は一汁三菜をそろえて必ず摂らねばならず、それ以外に間食やサプリアイテムがあったりする。
・栄養価の高い食べ物は対価として食欲ゲージを下げる効果があったり(良薬口に苦しルール)、同じ食材を1日2回以上使ったりしても食欲ゲージが下がる(白米やみそ汁などを除く)。
・メニューの組み合わせで味コンボが発生し、食欲増進効果があったりする。
・あと、ゲーム開始時に配られた「偏食カード」(食材が書かれている。他プレイヤーには非公開)によって好き嫌いが設定され、食事にその食材が含まれていると大幅に食欲減退。
・間食のおやつは食欲を上げる代わりにカロリーが大幅に増える。使わないと食欲不振で栄養素をそろえることができなくなるが、使いすぎると2000kcalをオーバーしてしまい不健康トークンをもらうことになる。
・他にある種の栄養が大幅に不足しても不健康トークンを取得し、一定以上貯まるとトークンの数に応じてしばらく「病院食モード」に突入。入院中は食欲が最低値になるが、1ターンごとにトークンを返して食欲回復。
・これを何ターンも続けていく。終わりはない。
こんなヘビーなゲームを毎日やっているのですから、人間ってすごいですね。
逆に言えば、ゲームが得意な人だったらバランスの良い食生活ができそうです。
という記事を、お夜食(上の写真)を食べながら書いています。
頭を使うには糖分が必要ですからね!
1月、甘いものを食べて受験を成し遂げましょう!
妹の連載もラストとなりました。
番外編的なものもちょこちょこ出していきますが、とりあえず今日がラスト!
楽しく読んでいただければと思います。
さて、今日は9月初旬に催された妹の結婚式について
行かない!と思っていたのですが、主人に、
行かなかったら妹の思うつぼだね!
親戚一同で行くか、全員欠席かの2択だよ!?
と言われました。
親戚中に20年前の喧嘩のことや子供のころからの恨みを言いふらして、
じぶんが悲劇のヒロインとなりたい妹にとって、一番最高なのは、
嫌っている母親と姉が欠席で、残りの親族が出席するのが一番ハッピー!
だから、出るなら全員で出て、『こっちはやることやったよ』となるか、
全員欠席で、『頭冷やしなさい』にするかの2択ということです。
できれば後者がいいのですが、
私の親はそんな人ではない!だったら妹はこうなっていません(笑)
感情が入ってしまいますよね。
『さすがに結婚式行ってやらないと可愛そう』
『新郎側の親族に失礼』
『妹と会えるのは最後だから会いたい』
※結婚式後は親族は用済みで音信不通になることはすでに分かっているようだ(笑)
親が出席すると言えば、親族も、
『そうだね。かわいそうだから出てあげようかな』
となりました。
私一人欠席となると、
『私は招待状をきちんと出したけれど、欠席しやがった』になる!
したがって、結果出ることにしました。
子ども2人も連れて行かねばならないので大変ですが、これが最後かと思うと行かないわけにはいきませんよね。
子ども2人かかえて長崎に降り立ち、バスで佐世保へ!
両親と待ち合わせしてホテルにチェックインして、休んでいると、妹が旦那様と一緒に現れました。
妹は私にも両親にも挨拶すらなく、真っ先に祖母の所へ行く!
妹の娘のNちゃんも、結婚式に出席することが確定したわけで、嫌いな母に抱かせるわけもなく、終始無視されました。
一方、初対面の旦那様とは、通り一辺倒な「初めまして。明日はよろしくお願いします」ぐらいのあいさつを済ませました。
上の娘が照れて恥ずかしがっていましたが、ママの妹の旦那様だと教えると、
甘えていい相手だと認識したのか、近づいていきました。
ここから、「お兄ちゃん!お兄ちゃん!」と追いかけて甘えまくるという人懐っこさを出し始め、かわいがられました。
ちなみに私の妹には「怖い?なんかあの人怒ってるね!」と警戒しっぱなしでした。
その後、旦那様のお父様も挨拶にお越しいただきました。
すごく、真面目な人種なんだなということが一発で分かるようになったのも、
自分が不真面目な人に囲まれているからでしょうか(笑)
お父様は、私の父と密に連絡を取り合っているようで、妹とのわだかまりを無くそうと尽力してくれているようです。
でも、息子さん(妹の旦那様ですね)とはちょっと不仲のようで、孫に会うのも1日5分と決まっているようです。なんだそりゃ!?(笑)
わだかまりを無くそうと頑張ってくれているとはいっても、肝心の妹に嫌われてしまうと孫に会えなくなるわけですので、これと言って大きな助けにはならなそうですね。
ちょっとでも私や母を擁護する発言をすると口をきいてくれなくなるようで、終始妹のご機嫌取りをしているようです。
孫のことがあるとそうなりますよね・・・。
結婚式というより、親族の集まりという感覚ですね。
朝から父方、母方の親族が集まり、昔話で盛り上がっていました!15年以上会っていなかった従兄弟にも会えちゃって、良かったです☆
従兄弟たちは出会いを求めて出席しているようで、2次会目当てのようです(笑)
娘2人はみんなのおもちゃ状態(笑)
上の子は遊んでくれるお姉ちゃんやお兄ちゃんがいっぱいで駆け回っているし、
下の子はまだ5か月ということもあり、おじさんやおばさんに交代に抱っこされていました。泣かないし、人懐っこい2人なので、かわいがられてよかった☆
上の子も私もヘアメイクやメイクをしてもらって準備万端!いざ出陣!
教会での儀式?が終わって、披露宴が始まりました。
こちらの親族席3つに、友人席1つ。妹に呼ぶ友人がいてよかった☆←いや本気で!
昔から友達を作るのが下手?だったのでちょっと心配していました。
友人代表挨拶をした友人は、挨拶の序盤で大号泣してしまい、挨拶は全く聞き取れなかった・・・会場も、泣きすぎじゃない?という空気が流れ始めようとしていました。おいおい・・と思い始めたぐらいで終わったのでよかったですが、泣きすぎ(笑)
でも、泣くほど喜んでくれる友人がいて本当に良かったです。
もうすぐ無事に終わります!
披露宴も終盤へ。
新婦からご両親への感謝の挨拶?です。
両親は一番前に移動し、スポットライトを浴びています。
妹からの感謝のお手紙が始まりました。
以下ほぼ全文です。
『こういう手紙を書くのは初めてなので、正直なんて言ったらいいかわかりません。
こうして私がお嫁さんになることができたのは、パパとママのおかげです。
私を産んでくれて本当にありがとうございました。
さて、このBGMのことをパパは覚えているでしょうか。
昔一緒に見ていたアニメ『クッキングパパ』のBGMです。
あのころパパの手はどんな料理も作ってくれる魔法の手だと思っていました。
そして、この曲のように、大人になってもパパと手をつないで歩ける娘でいたいと願っていました。
パパに比べれば、まだまだ料理はできませんが、旦那様がおいしいと言ってくる料理をこれからも作っていきたいと思います。
幼いころ、パパのように料理も何でもできて、ママのようにお菓子やパンが作れるお母さんになりたいと思っていました。
それには程遠いものがありますが、少しでも近づけるようにこれからも頑張っていきます。
(ここから泣きながらになります)
私は、幼いころから富美子さんに比べて、ずいぶんバカでできの悪い、手のかかる子どもだったと思います。
頭がいいわけでもなく、運動も全くできなかったですし、社交的なわけでもなく、よく怪我をしては帰ってくる、今でも本当に短所ばかりの娘で本当に申し訳なく思っています。
せめて他のぶぶんではあなたたちの負担にならないように私なりに頑張って参りましたが、――――(聞きとれず)
親族や従兄弟を含めても、一番何のとりえもない私でずが、たくさんの人の手を借りてどうにか30年生きてくることができました。
今回、子供が生まれてくることに関しても、私の遺伝子があることで、子供によくないことがあるのではないかととても不安でした。
子供が顔からクッションに落ちていく姿を見て、私の運動神経が遺伝したのかと本当に申し訳ない気持ちになります。
そして、そんな娘をかわいがってくれる旦那様のお父様には本当に本当に感謝しております。
そんなとりえのない私ですが、こうして旦那様という物好きな方が現れて結婚することができました。
昔パパが『生まれ変わってもママと結婚したい』と言っていましたが、私も旦那様にそう思ってもらえるような奥さんになれるようにこれから頑張って生きたと思います。
最後になりましたが、旦那様のお父様におかれましては、あたたかく私を迎え入れてくださり、本当に感謝しております。
まだまだ至らない嫁ですが、これからもよろしくお願いいたします。本日はありがとうございました。』
録音を何度もリピートしたから疲れた・・・。
やっぱり挨拶でぶちかましてきました!!
嫌味だらけの挨拶文。
佐世保のおばちゃんは頭を抱えて私の所にきて
「なあに?このあいさつ・・・!」とあきれ顔。
親族一同「やっちまった・・・」という空気です。
結構会場が凍っていましたが、挨拶をよく聞いていなかったであろう、若いお兄ちゃん達が拍手してくれたので、感謝のお手紙っぽくなりました。
こちらの親族からはノーコメント。
披露宴が終わって、本当はみんなでご飯を食べに行く予定でした。
従兄弟たちは、本当は二次会に行って出会いを探しに行く予定でした。
でも、妹の挨拶でそんな空気じゃなくなりました。
みんなバイバイも言わずにいつの間にか帰っていました。
終わってから二次会前に旦那さんだけでお礼のあいさつに来てくれました。
妹の姿は無し。
結婚式も終わったし、こうなりますよね。
やるべき仕事が終わって、疲れが来たのか、おばあちゃんは
「あの子もいつかは分かる日が来るでしょう」とだけ言って、ご飯も食べずに寝てしまいました。
私たちはというと、レストランに行く気力もないし、コンビニ弁当を食べてさっさと寝ました。
こんな妹の話をすると、生徒は目を輝かせて一生懸命聞いてくれます。
女の子だけの塾ですから、
お姉ちゃんたちには、下は小さなことでも根に持つから気を付けるように。
妹ちゃんたちには、上は結構下のこと好きだから慕うように言っています。
『先生達みたいにはならないように気をつけます(笑)』
と言われて、本当に救いです!
これで無駄な話ではなくなった!
こちらを読んだ皆様にも同じことがおきましたら、
一緒に酒を飲んで傷を舐め合いましょう♪
「あなたは『アドラー式』で育てられたのね」
とはある日の妻の言葉である。
恥ずかしながら、その当時「アドラー式」
なる用語を不知であった私は、
現代社会において、多くの疑問のファーストアンサーとなりうる、
偉大なgoogle先生に尋ねてみることにした。
なるほど、確かに私の育てられ方は、鹿児島県鹿屋市という僻地で純粋培養された「アドラー式」と呼ばれるものなのだろう。
さて、自分はどうかというと、当然に遺伝的にも、環境的にも親の与える影響は大きく、やはり「アドラー式」に近いのではないかと思う。
「子育て」という広く、大きな、そして時間をかけて行うテーマに関しての哲学としては、私と妻の間にも相違はない。
「教育」に言い換えたとしてもこれまた同じこと。
問題は、「進学指導」という、まさに我々の生業をテーマという空欄にあてはめたときである。
永遠の命題のように感じたこの問いに対して、私たちは一つの結論を出した。
時間に関しては、「管理が先」にしようと。
善は急げ、来年度からは全受講生に2つのタイマーを用意してもらうことにし、
早速、楽天市場にて購入。
このあたりのスピード感は、娘の愛してやまない滑り台なる遊具よりも、
あっという間である。
私は、生来の「自主性」論者で、自ら踏み出そうとしない一歩など大した価値もなく、
それを待つべきであるというスタンスであった。
このスタンスにはブレがないのだが、一つ新たな事実が、判断材料の中に加えられた。
それは、「時間を管理する方法」を知らないのである。
知らないことを知らないのである。
つまり、時間を管理するということが、選択肢にないのである。
もちろん、小学生であるから時間など気にせずとも、
自らの赴くままにというやり方も十分に魅力的だ。
なんと“小学生らしい”のだろう。
ただ、私が生きた場所、時代と、彼女たちの生きるそれは、あまりにも異なる。
懐古主義に浸るのは、聊か無責任というものだ。
大人たちが自らの経験という、唯一無二の根拠によって
その価値観という鉄槌を下すのは、暴論としか言いようがない。
選択肢として方法を提示することは、大人としての義務ともいえよう。
古今東西「勉強のやり方」については、色々と議論がされてきて、
それに関する書籍を挙げれば枚挙にいとまがない。
個人的には、方法論を単体でする議論はあまり得意ではなく、
自らもスマートな方法によって学習を円滑に進めてきたわけではない。
というよりは、方法論を議論するほど勉強してきていないという方が実態に近かろう。
ところがである。勉強法以前の問題があるのである。
例えば、記憶→テスト→確認→再記憶という、
スタンダードな日本人が誰しも経験してきたであろうサイクル。
これに関して、
見事なまでに最初の「記憶」の作業は、省略、または簡略化され、
「テスト」こそすれど、「確認」は解答を写すという時間とインクの無駄へととってかわり、
「再確認」は、「めんどくさい」という勉学と最も親和性のないマジックワードの下に、その姿は跡形もなく消え去っていた。
社会一般で、意識せずともスタンダードとされる方法を提示することがよいのか、
堅忍不抜の精神のもと、修行僧のごとく取り組むうちに洗練されていくのものか、
それとも“やる気スイッチ”なる空集合に近い概念が現実のものとなり、
得点から演繹的に方法論にたどり着くのを待つのか…
我々は、時間と方法に関して、選択肢を提示することに決めた。
「卵が先か、鶏が先か」とはよく言ったものだと、改めて感じながら、
来るべき学校経営に目を向けると、
殊「再建」という命題を掲げた場合には、
「偏差値が先か、志願者増が先か」という壁にぶつかる。
教育内容の充実が本質などといったところで、
万人が前提としてシェアしていることの再言に意味などあるわけもない。
詰め込みVS思考 教育方針VS偏差値など実態のない二項対立を扇動してみても
それが他校との差別化とは程遠い。
結局は現状認識をしたうえで、どのポジションを取るかを、心して決することだ。
いいとこどりは現状維持でしかなく、
現状維持は後退を意味する。
今週は下半期について書くと先週申し上げた。
ここは端的にいこう。
下半期について、思いつかなかったのである。
楽しみは取っておいたほうが良い。
いつの日か希望的妄想的2018(下半期)を書くことを念頭に、
今日も希望的妄想を繰り広げている。