塾講師、かく語りき

塾講師、かく語りき

合同会社ディープグラウンド(DG)が運営する、京王線千歳烏山駅にある中学受験塾、烏山進学教室。講師が語る、学問に関係あることないこと。

Life is まね~

今週はQuibbit

今週授業で扱った教材は、「Quibbit」である。

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これは、メビウスゲームズ様主催のゲーム大会でも、

実施されるゲームの1つになっており、恐らくは私が担当することになりそうだ。

「恐らく」としたのは、最終的な担当者は明日の社内コンペで決定するからだ。

「社内コンペ」とは、何ともビジネス色満載の調べであるが、

実際には、ひとしきりやってみて勝った者を担当者とするだけなのである。

「だけ」とは表記こそしたが、各々が真剣に勝ち筋を探求し、

感想戦によってそれを確認しあう。

こういう作業は、好みが分かれるため、

趣味嗜好の近い4人が結集したのも奇跡的と言えるのかもしれない。

パクッて何が悪い

さて、授業での話である。

例によって詳細なルール説明などは、偉大なブロガーたちの力をお借りすることとする。

saikoro-table.com

今回は、ゲーム終了後、具体的な場面まで戻して、

「この時の最適手は何だったのか」というのを考えるところまでやってみた。

やはり、小学生には具体的なアプローチの方がわかりやすいようで、

次回以降は、具体的な場面を、こちらの方で問題として出題するのも良いと思った。

それはそうと、今日は内容にはあまり踏み込まず、1回目と2回目のゲームについて書いてみたい。

ゲームの1回目というのは、理解している者と理解していない者との差が顕著に出やすい傾向にある。

今回の1回目のゲームでは、ルールを間違えた者もいたのだが、それ以上に、1人が圧勝を遂げた。ただ、おもしろいのはここからである。

2回目は、1回目に圧勝した者の手を全員が模倣しようと試みたのである。

「成功者に学べ」ということであろう。

その姿勢自体、素晴らしいことは言うまでもないことであるが、

こうした姿勢が涵養されることが、ボードゲームの一つのよさなのであろう。

ロールモデルが存在し、それを意識して行動することは、

勉強においても、仕事においても役に立つ。

娘とボードゲームをするときは、手心を加えず全力で立ち向かおうと、

改めて決意した瞬間でもあった。

下の子はお得!?

3歳の長女は、1本虫歯ができてしまった。

彼女は、歯磨きが嫌いだったのだ。

まぁ、口の中にひたすらに異物を数分間出し入れされるのだから、

嫌悪感があっても無理なき事であろうとは思うのだが。

歯磨きをしようとすると、リビングに泣き叫ぶ声がこだまする。

妻は根負けしたが、私は、そのあたりに親らしい感情をあまり持ち合わせていないせいか、淡々と処理(笑)

初回成功するまでは、2時間程度を要したが、それでもそれ以降は問題なく歯磨きができるようになった。

しかし、0歳の次女は最初から大丈夫だったのである。

彼女は、ストローも最初から使えた。

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同じ親から生まれて何が違うのか、それは、まさしくロールモデル」の存在ではないと感じた。

小さな子供にとって、親はロールモデルの対象とは必ずしもならないため、

上の兄姉の存在は、ロールモデルとしては都合がよい。

では、下の子は万能化というと、

上の子には、未知から道をつくってきた「開拓者精神」があるはずだ。

あるのである。

そう、何を隠そう、弊社は長男長女だけで構成されているため、

思想が上の子よりなのである(笑)

「開拓者精神」というと聞こえは良いが、「新しいもの好き」の「飽き性」という側面は否めず、その結果、我が家のボードゲーム棚は、もうすぐいっぱいになりそうである。

スイッチ思考

私の前回の記事の続きのお話になります。

 

※前回のあらすじ

 字がきれいになるように練習した。

 余計なことをして平凡な字に落ち着いた。

 さらに、変な癖がついてしまった。

 

精神的スイッチ

前回の最後にありました、字の書き取り練習をしたがためについてしまった

それは、「きれいに書こうと思って書いた時だけきれいに書ける」という癖です。

 

何かの署名とか、年賀状とか、そういうときにはそこそこ見た目のいい字を書くことができるのですが、普段メモ帳とかノートとかに字を書く時には以前の雑なままの字が出てきます。

言ってしまえば、「字をきれいに書くスイッチ」が自分の中に出来てしまったわけです。

スイッチが入っていればきれいに字を書こうとするものの、スイッチが入っていないと練習前のグチャっとした字を書いてしまう。

一見効率的に見えたりもするのですが、これはこれで厄介なのです。

 

この種の精神的スイッチの厄介なところは、「スイッチが入っていないときなら字が汚くてもかまわない」と自分に暗示がかかってしまうことにあります。

そもそも字がきれいと言われる人は、1年365日いつ字を書いてもきれいなのです。

本来目指すべきはここになるわけですが、一方でスイッチの暗示にかかってしまっている人は、スイッチONのときだけきれいに書こうと振る舞うので、普段字を書くこと自体が練習にならず、字がいつまでもきれいにならないのです。

おかげで私は未だに字のきれいな人間になれていません。

 

 

勉強もスイッチだとかどうとか

ここらで塾講師らしいお話をさせていただくと、勉強にスイッチ思考を持ち込むのは危険だと私は考えます。

なぜなら、勉強をする・しないを決めるのは現在の学力であって、本人の気持ちで決められることではないからです。

「夏期講習明けにスイッチが入った」とか「毎日夕方位からスイッチが入って勉強する」とかいうお話をよくお聞きするのですが、これは逆に言うと「夏期講習まではOFFだったから勉強しなかった」「まだ遊びたいからOFF」なんていう誤った判断を許してしまう材料になってしまいます。

スイッチ切り替えの権利を持っているのは結局勉強する本人ですから、甘くしようと思えばいくらでも甘くできるわけですね。

さらに親が「スイッチが入ったら始めてね」なんて言ってしまったら、「じゃあスイッチ入れないでおいてずっと休んでよう」という思考につながるケースも考えられます。

スイッチが見当たらないとか入らないというのは、勉強をしなくてもいい理由になりません。

 

 

そもそも頭の良い人は、1年365日毎日が勉強です。

ここでいう勉強とは、国算理社に限らず、自分の中に知識を蓄積する行動のことを言います。例えば身の回りの疑問点を調べるだとか、料理のレシピや機械の説明書を読むとかですね。

 

羽生永世七冠は、日常生活において常に将棋のことを考えていて、思考が止まるタイミングが無い、と聞いたことがあります。

常住坐臥、将棋。強くないはずがありません。

 

もちろん、そこまで思考し続けられるのは比類なき才能だとは思いますが、理想としては正にそういう状態ですね。

 

 

話の流れがBLACKすぎるので・・・

とは言え、(一部の才能ある人間以外は)スイッチをうまく切り替えて行動しないといつか潰れてしまいます。

運動だって適度に休憩を取らないと、過労で死んでしまいます。

常にスイッチONでいられる人間なんてそうそう居ないのです。

(もし居たらその人は天才で、世の中で大成功を収めていることでしょう。)

 

 

私のような一般人は、残念ながら常にONなんていう極端なことはできません。

勉強したい、仕事したいと思っていても、どうしても頭が動かないことがあるのです。ONがいいとわかっていても、そんなときにはOFFのタイミングが必要なのです。

 

 

ですから、方向性としては、ONの状態をできるだけ長く維持できるようにしたいものです。

・ONにすることをためらわない ← 少しでも長くONの状態に

・ONになったらその状態を維持 ← 持続力をつける

・OFFになるのは仕方ない ← 人間だもの

 

OFFは決して悪いことではありません。

ONできるのにOFFをダラダラ続けることが、成長を阻害するのです。

 

 

精神的スタミナ

テスト時間30分。

分からない問題にも時間いっぱい全力で、ONの状態で向き合う人と、わかる問題を解き終えたら残りの時間を無為に、OFFの状態で過ごす人

前者の方が最終的に上位となることは想像に難くありません。

後者には、わざとOFFにする人もいれば、ONの状態を維持できない人もいます。

 

そんな人には、精神的スタミナが足りていないのだと思います。

精神的スタミナとは、精神力を維持するのに必要な力のこと。

今回の例で言うと、30分間スイッチONの状態でいるのに必要なだけの精神的スタミナが、後者には無いのです。

 

精神的スタミナをつけるには、自分の意志でできるだけ長く、1秒でも長くONの状態を維持する練習が必要です。

練習は何でも構いません。1問でも多く問題を解くとか、1秒でも長く走るとか、1文字でもきれいな字を書くとか、1gでもいいから砂糖を我慢するとか。

そういう前向きな精神に、結果はついてくるのだと思います。

 

勉強したくないと思うときは、誰にでもあるものです。

そのOFFの状態をダラダラ続けていては、それが常態化し、自分の成長を止めてしまうことになります。

スイッチは自分の意志で切り替えることが必要です。

自分で切り替えられるように、学力とともに精神を鍛えていきましょう。

 

 

・・・でも、どうしてもONにならないときは、誰かに喝を入れてもらってもいいかもしれませんね。

 

そのようなご相談も、いつでもお待ちしております(笑)

ワイルドなバイキング

失敗から得るもの

娘が好むゲームとしては、「スティッキー」や「ペンギンパーティー」がある。

そして、今回、そのラインナップに一つ「ワイルドバイキング」が加わった。

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先日の「すごろくや」のセミナーで体験したゲームのひとつであり、

ルールも簡単で短時間でできることから、購入して、妻と3歳の娘と早速プレイしてみた。

結果、娘が勝った。娘に負けた

もちろん、多少カードの出し方に配慮はしたが、

とはいえ、娘のカードの出し方に関してであり、自分は全力で勝ちに行った(笑)

運要素のあるゲームは、こうした点が一つの醍醐味と言えよう。

そして、一度、勝利の味に酔いしれると、これはある種の麻薬的な作用となり、

毎日のように、「黄色い箱のヤツやろう」攻撃が始まるのである。

例に挙げた、三つのゲームに関しては、すべて彼女に勝利経験がある。

やはり、人間にとって「上手くいった」経験は、他に代替できぬほど重要であるようだ。殊に、わずか46カ月しか、この世での時間を過ごしていない身にとっては、その意味は大きいのかもしれない。

ただ、これは大人にも言えよう。

自分が好きなゲームについて考えてみる。

既に100以上のゲームをプレイしてきているが、やはり、そのほとんどが、「上手くいった」経験のあるものである。

必ずしも「勝つ」必要はないが、ある程度「自分の想定通り」にことを進められることは、「好き」という感情を抱くに際して、必要な条件のようだ。

思うに、「面白い」とは、得てしてそんなものだろう。

世の中には色々な人がいるので、「うまくいかないこと」を楽しめる人もいるかもしれない。

いや、「うまくいきそうにない、うまくいかないこと」に面白味をかじられる人はどれくらいいるのだろう。

大人はみな、「失敗から学べ」という。

確かにそうだ。しかし、正しくは、「成功するために学べ」である。

同じようで、ベクトルが異なる。もしくは、成功に向くベクトルの強さが異なる。

結局、「人は成功からしか学べない」のではないかと思う。

成功したときに、過去の失敗が意味を成すという逆説的な状態が訪れるだけなのだ。

 

説明書の説明書は必要か

さて、前書きが長くなったが、元々書こうとしたのは、「ワイルドバイキング」についてである。

ルールは、いつものように詳細な説明をして下さる、先人たちのサイトに譲る。

sgrk.blog53.fc2.com

説明書の読み込み作業に関して、3点ほど間違えて進行した箇所があった。

今回はそのうちの2つの表現をピックアップしてみたい。

「前の人より多くカードを出すか、パスをします。

「サイコロで船が出て、宝石を置こうとしたときに、予備の宝石が1つもなくなっていたら即座にゲームは終了します」

 

まずは、一つ目。「前の人より」。

これは、ケアレスミスともいえるが、「より」と「以上」は同じではない。

よって、前の人と同じ数は不可ということになる。

算数の授業でも当然に指摘している部分ではあるが、

やはり実体験がある方が記憶に残りやすい。

ゲームの素晴らしい点はこのあたりにある。

 

二つ目の部分に関して。

終了条件は二つに分かれる。

「サイコロで船が出て宝石を置こうとしたこと」

「その際に、予備の宝石が1つもないこと」である。

予想通り、サイコロで船が出て、最後の宝石がストックから無くなった時点で終了としたのだが、

これでは、要件を充足したとは言えない。

ストックに宝石がない状態の中、サイコロで船が出て、

宝石を置こうとしたが、1つもない場合に終了なのである。

字にすると、少しわかりにくい。

しかし、実際にやってみると、すぐにわかる。

大学入試センター対策講義でもない限り、

上記の解説を文言だけでやろうとしたところで、上滑りするのは目に見えている。

仮に、中学受験でも一部の難関校受験生がついてこれたとしても、

やはり、ゲームを通じて、「文言」について考え、

実体験を通じて、文言の理解を深める方が、より教育的効果は高いと言えよう。

 

ゲームからの学習からのゲーム

こうして、ゲームを通じて国語力を高めようという狙いもある。

「狙いも」というのは、国語力と抽象的思考力をつけることの目的の一つは、

「より難易度の高いゲームに誘う」ことだからである(笑)

ということで、3月24日(土)は、「中学生ボードゲーム会中量級編」である。

ご参加希望の方は、下記よりご予約ください。

https://reserva.be/deepground

ご連絡をお待ちしております。

「字が汚いからやり直し!」

 

これは、今年度の授業が始まってから、最もたくさん言った言葉。1日の授業で10回以上言っている気がします。

去年は去年でかなりの回数言ったはずなのですが、今年はそれ以上のハイペースで言っています。

男子のクラスを見るようになったことが大きいでしょうか。

  

ですが、字が汚いと、計算式の書き間違い・読み違いが起こったり、筆算でけたが1つずれたり、先々自分のノートを見返したときに頭に入ってこなかったりするので、先々のことを思ってこのように言っていることをご理解頂ければ幸いです。

 

 

・・・とは言いながら、何を隠そう私自身も元々は汚い字の持ち主※今はきれいとは言ってない

 

高校生くらいまでは字のきれいさなんて特に気にも留めていなかったのですが、大学生の頃にふと、自分の字が汚いことを認識。字のきれいさを見つめなおすきっかけになりました。

 

自分の字を自己分析すると、とにかくバランスが悪い

例えば漢字の木へんが大きすぎたり、「ふ」という字の4つのパーツの大きさが書くたびに変化したり。

一番気になっていたのは、「桜」という漢字の「女」の部分とんでもなく汚い

桜井家に生まれ、人生で一番多く書くことになる漢字が汚いのは致命的だと思ったのでした。

 

 

一念発起した私は、文字の書き取りを最初からやり直すことを決意

まずは本屋さんで小学生用のひらがなドリルを買い、書き取りの練習。

同じものをコピーして2週間も継続すると、ひらがなは上達を実感できるレベルになりました。

※元が汚すぎたというのはあります。

 

 

ひらがながある程度見れるものとなり、次はカタカナ、漢字・・・と続いていく予定だったのですが、当時の私はここで要らないことを思います。

 

「この文字・・・パソコンで打ったみたいな平凡な文字で面白くないな」

 

今思えば完全に余計なことなのですが、当時は社会を知らない大学生。誰でも書けるような平凡な文字を嫌ってしまったのです。

 

 

そこで、次に書き取ったのが、様々な漫画の最後に載っている作者直筆のあとがきの文字

 

「生の人間が書いた文字をマネすれば、いずれ自分自身のオリジナルな文字ができるはず!」

 

そう信じ込み、いろいろな人の文字を片っ端からマネし始めます

これはもう、1年近く続けたでしょうか。

 

こうして出来上がったのは・・・

 

上手とも下手とも言えない、それこそ平凡な書き文字

 

色々な文字を練習した結果、無難なところ、それこそ面白くない文字に落ち着いてしまったのでした。

 

私の代表的な書き文字↓

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まぁ、始める前と比較すれば字が上達したことには変わりないので、成功なのかな・・・?と今は思っています。

これでも上達したんですよ!

 

ただし、困った癖がついてしまいましたが・・・

それはまた次の機会に。

Shimaiの会

卒業してからがスタート

先週の土曜日、生徒の保護者様が経営されている居酒屋にて、

卒業生のお父様方4名と私の合計5名で酒席を設けることとなった。

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当初は、塾長も参加予定ではあったが、

まさかの敵前逃亡である(笑)

塾の経営者にとって、保護者との距離感は難しいところもあるが、

そういったことは抜きにして、

単純に「楽しく」時間を過ごすことだけの集まりだ。

実際、大人になると仕事関係を介在させずに「飲む」機会は決して多くはない。

私にとっては、塾という仕事とつながってはいるものの、

反対に「塾講師」でもしない限り紡がれることはなかったであろうご縁に感謝である。

 

その名もShimaiの会

さて、会の名称である「Shimaiの会」

自らのネーミングセンスのなさには辟易するところではあるが、

その名の通り、全員が「姉妹」の父親である。

男の子がいる方を排除する趣旨は全くないのであるが、

偶然にも、このようになった。

会員は随時募集中

(変わったばかりの会です。飲んでみたいという方はお気軽にお声掛けください。)

であるが、男子のお父様がご入会された場合には、

やはり会の名前は変更せざるを得ないのかもしれない。

そのときは…「吞兵衛の会」……

やはりセンスがない。

 

昭和の名残

第二回の開催であったのだが、第一回と同様に最後は我が家へ(笑)

飲んでいて誰かのうちになだれ込むのは、いかにも昭和的。薩摩的。

妻もこうした雰囲気や、こうした素敵なおじ様たちが好きなので、

私としてはとても助かっている。

さて、到着すると、「MODEN ART」というボードゲームに興じるべく…

 

ご想像の通り、17時から飲み始めている我々にゲームを理解するだけの余力は残されてはいなかった。。。

途中の寝落ち2名。何もできなかった人物1名←これ私

ただ、金融関係のお仕事をされていた方は、さすが。

前半からポジションを作り、寝落ちしたとは思えないほど、しっかりと得点を稼いでいた。

次回は、酔う前からボードゲームをはじめ、夕方くらいからまた飲み始めるのもよいかもしれない。

 

ちなみに、飲み会での様子が書かれていないのは、筆不精のためではなく、

ここに書くことができないような内容の話がほとんどだったからである。

男たるもの、いくつになっても、その本質は変わらないものだ(笑)

解答編

今年の目標「休」は未だ達成されず、無理した瞬間に風邪を引いた塾長である。増える残業!余る年休!落ちる体力!残業代はドリンクお薬!ははっ、新年早々風邪いじまったな(稼いじまったな)。ヒップホッパーにでもなるか。

やはり何事も仕組み化することが肝要である。僕らがヒューマンである以上、行動制御能力はそこいらのアリンコ以下なのである。じゃあどうやってコントロールすれば良いか、ということに関してはまた気が向いた時に。

 

暗号の答えである。

 

奥様

僕の愛する友人が東中野で降りてしまいました。助けてあげてください。

 

ごめんなさい、酔ってました。違うんです。彼が悪いんです。あの日、その愛する友人とすごろくやのイベントに出て、夢のある話をして、呑んだくれてしまったのです。私は酔ってましたが、彼はさらに酔ってました。

僕たちは高円寺から電車に乗り、新宿で別れるはずでした。しかし彼は、東中野で「ここで失礼します」と、降り立ってしまったのです。

「あぁ、こいつはまた酷く酔っ払ってしまったに違いない。どうせそこいらで電信棒に寄っかかるか、罪もない一般人に絡むくらいして、酔いが覚めたらちゃんと帰れるだろう。しかし、この寒い中、もし野宿にでもなったら...」

と、心優しい私は、朦朧とした意識の中、なんとか彼の奥様に連絡しようと思い立ったのです。

グループウェアを起動して、一心不乱にヘルプのメールを打ったのです。そこで生まれた暗号が、解答となるわけです。

これが、面白くって面白くって。親指でスマホ画面をタップする心地よさ。気づいたら意味もない文字列が並び、終いにゃブログにも投稿されていたってはらさ!

 

お酒の飲み過ぎは良くないね。みんな、気をつけよう!

体を動かすのは頭、頭を動かすのは・・・

前回のあらすじ

先週、何もないところで背中をギックリしてしまい、体は若くないという現実を突きつけられた桜井

それ以来、夜道を歩くこと自体が不安の対象になり、近所への買い物ですら緊張するようになってしまう。

このままでは来年も白いスーツが入らないどころか、来年体が動くかどうかも怪しいと考えた桜井は、ある計画を実行に移す・・・。

 

 

桜井、夜道に立つ

先週ついに思い立ち、ジョギングを始めました。

走ろう!とは前々から思っていたので、実はシューズとジャージは購入済み。とりあえず道具をきっちりそろえるところが何とも

 

木曜日、新館で机の色ぬり作業(下図)を終えて帰宅。

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あらかじめ買っておいた上記の服装に、コンビニで買った防寒対策の手袋とニット帽を装備し、家を出ます。

ゴール地点は特に設定せず、近所に野川があるので、野川沿いのジョギングができる道路を行けるところまで行こうと思い、とりあえず走り出しました。

この瞬間、目的を持って走ることに対してとてもワクワクしていたのを覚えています。

 

 

でも現実は非情。

なんと、野川に到着するまでの1km弱で、もうヘトヘト。

歩を踏むペースはかろうじて走っている体を為してはいますが、ほとんど競歩みたいな両足地べたの歩行で進んでいました。

運動不足と口で言うのは簡単ですが、実際経験してみると、運動しない大人って、こういう感じなのか・・・!と思わざるを得ません。

(実は5年ほど前にも、同じようにジョギングに目覚めて走っていた時期があったのですが、その頃はこんなに序盤で疲労したことはありませんでした。)

 

恐ろしいことに、体内のあらゆる器官が、ジョギングを継続させまいとして働きかけてくるのです。

呼吸は乱れ、心臓は爆音を発し、足は重さを増し、手足は冷え切り、最後には頭痛まで。

頭では「走らなきゃ」と思っていても、それに付き従うべき手足たちが命令を聞こうとしません

 

それでも、上がろうとしない足を前に出してペースを乱さず、なお奮起して走る姿勢を保ち続けるのは、ただただ「健康」という目的のためでした。

実際、頭が「痛くても動け」と命じれば、どんなに痛んでいても足は前に動くのです。

その不思議な感覚ちょっとした面白さを感じながら、ただひたすら走り続けました。

 

何とかおよそ5kmのきょりを走り切り、そのまま自宅のお風呂(出発前に入れておいた)に直行して、なんとか歩けるくらいにまで回復。

その日はそのままベッドに倒れ込んだのでした。

 

 

感想

次の日、友人とともに京王線で永山駅前の温泉へと向かい、岩盤浴で新陳代謝を促します。

そこで考えていたのは、あの時の不思議な感覚

 

頭が「動け」と思っている限り、足が「動く」という感覚。

 

これは、裏を返すと

 

足が「止まる」のは、結局のところ、頭が「もういい、休め」と思ったときだということ。

 

体というのはとても正直で、自分たちの要望を「痛み」や「硬直」などといった形で率直に伝えてきます。その要望に全て答えられれば一番楽なのですが、時と場合によっては、その要望に応じたことによってその後かえって不幸になることだってあります。

 

ジョギングは体の健康のためを思ってやったこと。

けれども体は反抗してくる。

そんなとき、頭はどのように対応すればよいか。

 

知識・経験・目的意識をもって的確に判断すればよいことになります。

 

たとえば、運動していると疲労のたまった足が「やめなよ!」と言ってきますが、それは聞く必要のない要望です。

でも、ひざ関節を逆方向に曲げるチャレンジをしたときに足が「やめなよ!」と言ってくるのは、それは足が正しいのですぐやめましょう。

それらの最終的な判断の権限を持っているのがです。

 

 

そして、頭の下した判断を持続するために必要なのが、いわゆる「根性」とか「我慢」、もしくは「希望」「理想」なのでしょう。

例:理想の自分の体形のために、お菓子を我慢する。

 

 

そして最後は、自分の頭が正しい判断をするかどうかにかかっています。

 

走ろうと思い立つのが自分なら、立ち止まろうとするのも自分。

コンビニで黒烏龍茶を買うのも自分なら、ついアイスに手を伸ばしてしまうのも自分。

受験しようと思うのも自分なら、勉強を後回しにして遊ぶのも自分です。

 

 

これから受験勉強に臨む皆さんには、体の要望を退ける我慢の連続の日々が待ち受けています。

必ず「眠い」「だるい」「やる気ない」という体からの訴えがあると思いますが、自分の頭で、自分の将来のために、正しい判断が取れるよう、頭をどんどん鍛えていきましょう!

 

 

・・

・・・

 

 

でも時には

休息も必要よねー。

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写真は昨日の晩ごはん。

 

明日から頑張ります。