塾講師、かく語りき

塾講師、かく語りき

合同会社ディープグラウンド(DG)が運営する、京王線千歳烏山駅にある中学受験塾、烏山進学教室。講師が語る、学問に関係あることないこと。

『ハコサクライ』(仮称) 作成中につき

いつもの記事の時間ですが、来週に迫ったBBQで使用するイベントの作成が終わっていない(どころか始まって間もない)ため、簡単な記事でご了承ください。

 

 

BBQまで残すところあと10日

進捗 2%

 

いくつか出したアイディアの中から「比較的間に合いそうなもの」を選出し、今から細かいネタ出しをはじめようと思います。

 

 

とりあえず簡単なメモ。

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ざっくり言うと、

既存のゲームを20分くらいで終わるように圧縮したようなもの。

メモの空白が大きいのは、まだ決まっていないことが多いため。

 

 

このままいくと、来週はもっと短い記事になると思います(笑)

その時にはもっと具体的な完成品が上げられるといいなぁ。

厄を払うはBBQか、はたまた金髪か

今年は父親の参加が多い

今年もBBQの季節がやってきた。

もっとも、この「BBQの季節」というのは、一般的なものではなく、

弊社に限ってはということになる。

毎年、6月第3週に行うこの企画は、「梅雨」という天敵に悩まされる。

とはいえ、次第に規模を拡大し、今では約60人ほどの参加をいただくイベントとなった。

しかも、今年は面白い傾向として、「母親」より「父親」の参加が多い

お父様方おお近づきになれるチャンスでもあり、

私としては、「Shimaiの会」の会員を増やすチャンスでもある。

男子を子に持つお父様がご入会の際には、

「Suehiro会」に名称変更が必要となるかもしれない。

 

DG的厄払い

さて、春の珍事というものの、今年は特に新学年がスタートした2月から、

私たちにとっては、あまりよくない出来事が続いていた。

「言霊」というものを、一応考えなくもない私としては、

詳細に関して書くことは控えたいと思うが、

スタッフ全員で地元「烏山神社」にお祓いに行こうと話しがまとまるくらいであるから、それなりにそれなりだったわけである。

 

ところが、ところがである。

突然、GWが明けたころから、風向きが変わってきた。

お問い合わせの数が増え始め、今月は新入会が2名である。

さらに、私はごはん屋さんでたまたま隣になった方と話が弾み、名刺交換させていただくなど、人のご縁も広がってきた。

さて、そこで、何がDGの風向きを変えたのか考えてみた。

しかし、そこはさすがDG

全員の主張は次のとおりである。

塾長:私が自転車で通勤し始めたからだ。

末廣:私がHPを作ったからだ。

櫻井:私が高尾山に登ったからだ。

田川:私が金髪にしたからだ。

 

素晴らしきまでの自己主張

全員が自らの功績と主張して譲らない。

これこそがDGの真骨頂である(笑)

 

ここからDGの躍進が始まる

とはいえ、何より、風向きが変わったことは良かった。

寧ろ、いまDGに風が吹いていると言っていい。

幸運に預かりたい皆様、お幸分け致しますので、ぜひDGにお声掛けください。

何だか宗教っぽくなってきたので、このあたりで今日は終わりにしたい。

ちなみに、私末廣は、高校3年生の時、担任の先生から真顔で、

新興宗教の教祖にだけはなるな」と言われた経験があります。

彼は私の将来に何を見たのだろうか。。。

脳内マイブームに悩まされる

マイブームと言いますか、自分に最近起こったことについて、その後しばらくの間、何となく頭の中でずっと考えてしまうことってありますよね。

 

たとえば、テレビでおいしそうなハンバーグを食べている人を見たあとはハンバーグのことばかり考えてしまったり、楽しいゲームで遊んだ後はそのゲームのことを振り返ってみたり。

すれ違ったおじさんがなぜか舌打ちをしていったら、しばらくはそのことが気になってしまいます。

 

こういった状態を『ハンバーグ脳』『ゲーム脳』『舌打ち脳』なんて表現することがよくありますね。

 

 

さて、最近私の脳内には「あること」がガッチリ張り付き、『〇〇〇脳』状態。

そのせいで、一日中あることないこと考えてしまったり、普段だったら普通にできるような行動が色々制限されたりしています。

 

 

 

事の発端は2週間前の日曜日

 私の担当していた教室には、何度言っても宿題をやってこない生徒がいました。

 

うちの塾は、やってこなかった宿題をキッチリ終わらせるまで帰れないシステム。宿題を残してしまうと、夜遅くまで居残りすることになります。

このシステム、生徒もそうですが、それを見る教員も最後まで帰れなくなるので、お互いのために宿題を家でやってきてほしい。

ということで私は、このような計画を立てました。

 

 

まず、ネット上で「怖い話」を検索します。

見つかった中で特に怖そうなものを、何気なく検索したふりをして「怖い話を見つけたんだけど・・・」と言って話します。

好奇心の旺盛な生徒たちは、きっとこれに食いつき、最後まで話を聞きます。

これを明るい午前中のうちに聞かせておきましょう。

(できれば密室系の怪談がいいですね。)

 

さて、午後になると、タイムレースと宿題の両方が完了する生徒が出てきます。

そうなるとその時点で帰宅できるので、ちゃんと終わらせた生徒から順に帰っていくことになります。

そのため、教室内の人数が徐々に減っていき、気が付くと残り1人

そうなったのを確認してから、私は用事があるふりをして教室から出ていきます。

 

するときっとすごく怖くなり、宿題をやってこなかったことを反省するでしょう。

そして次からは

 1人で残りたくない宿題をやってくる

となるはず!

 

 

早速この計画を実行に移すため、私は空き時間に怖そうな話を探し始めました。

 

 

しかし、一見完璧に思えたこの計画には、実は大きな『落とし穴』がありました。

計画を根底から覆すような穴なのですが、このとき私は大丈夫だと思っていたのです。 

 

 

 

私は、生徒を改心させるため、と意気込んで怖い話を調べました

 

検索にヒットした話は、ただのドッキリみたいな話で、それほど怖いものではありませんでした。

(今思えばこれがすべての始まりでしたね。)

 

あれ、こんなもん?

じゃあもうちょっと怖いのいこうかな。

 

持ち前の好奇心も相まって、少しずつ、少しずつ奥の深い所に足を踏み入れていきます。

そして気が付くと・・・

 

 

 

先ほどの『落とし穴』

 

 

私が先にすごく怖くなってしまいました。

 

実は私自身、おばけが大の苦手なのです。

どのくらい苦手かというと、小学生の頃にあった肝試しは他の人にギッチリしがみつき、友達とホラー映画を観に行った時には上映時間のほとんどを見ざる聞かざる状態で過ごした思い出があります。

 

 

そんな私が怖い話を調べていくわけですから、ご想像の通り、計画が破綻

生徒に話す前に自分の心が恐怖に囚われ、その日は1つも話すことなく解散となりました。

だって怖い話を散々読んだ後に、「おばけの話をするとおばけが寄ってくる」なんて書いてあるんですよ!

そんなのを見たあとに話すことなんて出来ないですよね・・・!

 

 

ということでその日から私の脳は『おばけ脳』

現在に至るまで、その辺の暗闇とか物影とか引き出しが怖くてたまりません。

夜は部屋の電気を消すのが嫌で、明るくしたまま寝ているため、この2週間はろくに熟睡できていません・・・。

 

 

人を怪談でおどかそうとした結果、自分がおばけの幻影に悩まされるお話でした。

「人を呪わば穴二つ」とはまさにこのことです。

 

こんなことならやめとくんだった・・・。

 

 

おまけ

こちらを10秒ほどご覧ください。

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ただの真っ黒な画像です。

何も怖くないでしょう?

 

私は今、これですら怖いと思っています。

入り口が語るもの

入試制度にについて話します。

たまには塾講師のようなブログも書かなくてはということで、

今日は「入試」についての話である。

2019年度も、少なくない学校が入試日を増設したり、

新たな受験制度を創設するなどしている。

ここでは、個別具体的な学校名に関しては、敢えて上げることはしないが、

今年の女子中入試も大荒れの様相を呈している。

最近のトレンドは「適性検査型」「算数入試」である。

「適性検査型」は、言うまでもなく、公立中高一貫校を念頭に置いたものであり、

算数入試は、近年の「プログラミング」等の流れを意識したものであるといえよう。

 

ビジョンと看板

各校、あらゆる知恵を出し合って試験制度を決定し、趣向を凝らした問題を作問している点については、改めて敬意を示したい。

しかし、私は入試制度に変更があった学校に問うてみたいことがある。

それは、

「5年後の入試制度はどうなっていますか」

「10年後の入試制度はどうなっていますか」

という点である。

もちろん、先のことなど、誰もわかりはしない。

だからと言って、5年後、10年後のビジョンが明確でないというのはいかがなものであろう。

確実に言えることは、「二匹目のドジョウはいない」ということ。

他校でうまくいった事例を、自校に持ってきたところで、そううまくいくものではない。

2年ほどは、御祝儀相場が成立するかもしれないが、その間に更なる改革をしなければ、なし崩し的な出願者の現象に悩まされていくことは明らかである。

大切になってくるのは、

「自分たちの理想の入試制度」という明確なビジョンを持ち、それを共有すること。

そして、そこから演繹的に紡ぎ出された入試改革であること。

同じような変更に見えたとしても、

ビジョンがあるのとないのとでは、その後の成果に関しては、雲泥の差となっていくはずだ。

 

「入試」のジレンマ

「選抜」というスクリーニング機能を正常に機能させることと、自校の「アドミッションポリシー」を前面に出すことが、有機的に機能することが理想的であることは言うまでもない。

問題は、これらが相反するような局面である。

これは、出願者が減少しているフェーズでは、往々にして起こりうることである。

すなわち、「本当はこの問題を出したいが、現状の受験生がきちんとアジャストできるのか」というジレンマである。

こうしたジレンマが発生している場合には、各学校の「覚悟」が問われる

このフェーズでの決断を誤れば、出願者減に拍車がかかるのは時間の問題だ。

「貫くのか」、「現状を受け入れるのか」、

いずれにせよ、きちんとしたポジションを取ることが大切だ。

ご都合主義な中途半端さは何も生まない。

 

末廣は入試戦略コンサルタントです。

若干抽象的な内容となってしまった。

ただ、最も言いたかったことは、

「出願者に悩む学校関係者の皆様、いつでもご相談ください。」

ということだ。

弊社の入り口は、広く誰にでもやさしい。

耳を傾ける者にとっては。

 

 

速さが感覚から数値になるまで

5月に入ってから、6年生の算数の授業では『速さの問題を取り扱っています。

 

これまでの経験上、5月の段階で速さの問題をしっかり理解して解けるようになる生徒はほとんどいません。

何となくわかったような気になって次に移る生徒が大部分で、人によっては単位変換や線分図のごちゃごちゃした感じに押しつぶされて、早々に理解をあきらめる生徒も出てきます。

 

速さの問題の難しいところのひとつは、「見えるものではない」ところにあると思います。速く動く物自体は見えているのですが、「それがどんな速さなのかが表現しにくい」のが難点ですね。

 

物が動くスピードが「速い」「遅い」というのは、小さい頃から積み重なった色々な経験や感覚でわかっているものです。

走る速さ、ボールを投げたときの速さ、自動車の速さ。

かたつむりの遅さ、幼児が歩くスピードの遅さ、自動車と比較した自分の遅さ。

世の中には動くものがたくさんありますから、それを目で追うことで、あれは速い、遅いといった感覚上の「速さ」は何となくわかります。

 

ですが、「どのくらいの速さなのかを説明しなさい」と言われたとき、速さの勉強をする前は「自動車と同じくらいの速さ」とか「犬くらいの速さ」といったように何かと比較するか、あとは「ビューン!」とか「シュッ」とかのオノマトペで説明することしかできません。

 

そこで現れるのが『分速〇m』などの速さの単位

たとえば

「分速200m」=「そのまま1分間進み続ければ、1分後には200m先にいるくらいの速さ」

という解説を授業でされる。

すると、「自分が今まで『自転車くらいの速さ』と言っていた速さは『分速200m』だったのか!」と、感覚と数値が結びつくわけです。

さらに、これまで漠然と聞いていた「車の速さ60キロ」というのが『時速60km』であったことに気が付いて、単位の奥深さに感銘を受ける。野球ボールの『時速150km』でも構いません。

そして自分の50m走の記録から、自分の走る速さも数値として解釈できるようになる。

 

つまり、これまで感覚でしか表現できなかった速さが、数値を得ることによってデータとして納得でき、そこから色々な事象へ応用できるようになっていくのです。

このあたりに算数を勉強する意義があるような気がします。

 

一度理解できてしまえば、速さの問題は感覚的にかなりわかりやすい部類に入ると思います。

入試算数の必須範囲ですから、早めに会得しておくに越したことはありません。

車に乗ったり、野球中継を見たりするたびに、速さを数値で意識し、理解を深めてもらいたいものです。

 

 

そして、とりあえず人の歩く速さを時速50kmだとか答えるようなことは無くなってほしいと思う桜井でした。