塾講師、かく語りき

塾講師、かく語りき

合同会社ディープグラウンド(DG)が運営する、京王線千歳烏山駅にある中学受験塾、烏山進学教室。講師が語る、学問に関係あることないこと。

賽は投げられる前に

下手の横好き

「好き」「得意」は必ずしも一致する概念ではない。

とはいえ、これらが大きく異なることは珍しく、

通常は、勝ったゲームを楽しく感じたり、好きに感じるものだ。

この辺りは、前回ブログで書いた通りであるのだが、

中には例外もある。

その例外が、このマラケシュというゲームである。

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詳細は、例によって他のブログに譲るとして。

しくらめんのゲームとげえむ:【ゲーム紹介】マラケシュ 素敵な絨毯を広げよう

Let's 授業

ということで、授業でもやってみた。

ルールブックの厚さに一瞬たじろぐが、

何のことはない。

日本語ページは1ページだけで、それ以外は世界各国の言語で書かれたページなのである。

生徒たちもかなり慣れてきたようで、説明書の読み方も随分上達してきた。

「各々」を「かくかく」と呼んだのはご愛嬌ということにしておこう。

1回目から、特段、ルールにミスなくプレイできていたので、

2回目は私が入り、プレイしてみた。

結果、初の圧勝☆

大人げないと言われようが、何と言おうが、圧勝である。

勝利の秘密

では、なぜ私は圧勝できたのか。

実は、このゲーム、ダイスに秘密がある。

ダイスの目は「1」が一つ「2」が二つ「3」が二つ「4」が一つなのである。

少し考えれば、違和感を持ちそうなのだが、生徒たちは、誰一人として、このダイスを確認しなかったのである。

そうすると、何が起こるかと言えば、

確率計算の前提を間違えているため、

当然不合理な行動が時折出てくることになる。

一方、私は、一人だけダイスに気が付いているため、

リスクを最小限に抑えて勝つことに成功した。

ここで、考えなくてはいけないことは、「前提」の正確性である。

思い込みは、時に、重大なミスを引き起こす。

それは、思考の前提となる条件に関して、事実と認識の間に齟齬が生じている場合、

そこから考えられる行動が、不合理になってしまうからだ。

今回であれば、ある方向に行けば1と4が出れば助かるが、2と3は他者に多数の鐘を支払う必要があり、他の方向に進めば、2と3ならば、最小の金を払うだけでよいという局面があった。

このとき、当然、後者を選ぶべきなのだが、ダイスの目が均等であると考えた生徒は前者を選んでしまっていたのである。

自分が当たり前と思っていることは、実は事実と異なるかもしれない。

あらゆるものを所与のものと思わずに、一見疑って考えてみることは、

いうまでもなく重要だ。

 

ポン酢は語る

行動する前に、しっかり条件を確認しよう。

だとかなり安っぽいまとめとなってしまう。

むしろ言いたいことは、「当たり前」はかなり怪しいということだ。

そして、確認すれば万全というものではない

お鍋のお供、「ポン酢」という調味料がある。

使い方は…いうまでもない。

これは、ある意味で「当たり前」だ。

しかし、私の知っている男で、(たぶん木曜日くらいにブログを書いている男なのだが)

上京して、初めてポン酢を使う際に、鍋に一びん投入し、そこに具材を入れて煮詰めた男がいる。

彼には、「ポン酢」に関する「当たり前」はシェアされていなかったのだ。

大学に入って、「大富豪」をする際、ルールのすり合わせに難儀するのもよくある話だ。

すなわち、「当たり前」は、相対的なものである可能性もあるのだ。

「当たり前」が客観的事実と符合したとしても、

それが共通認識になっていない場合

思い込みにより、前提が事実と異なる場合と同様に、

行動が不合理なものとなってしまう可能性が高い。

自分で検証、確認した「当たり前」は、他者とも検証、確認し、

共通の「当たり前」にすることが必要である。

 

DGの当たり前

弊社の当たり前と世間一般の当たり前には齟齬があることもある。

弊社では、保護者様対応は、私が行うのが「当たり前」であるが、

一般に進学塾のお客様対応が金髪に髭面であることは考えにくい。

弊社の机は、教員の手によって、黒板塗料で8色に塗られているが、

このような塾はいまだお目にかかったことがない。

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これは、シェアしなくてよい「当たり前」だ。

ただ、この「当たり前」をシェアしてくれる皆様、

いつでもお待ちしております。

Life is まね~

今週はQuibbit

今週授業で扱った教材は、「Quibbit」である。

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これは、メビウスゲームズ様主催のゲーム大会でも、

実施されるゲームの1つになっており、恐らくは私が担当することになりそうだ。

「恐らく」としたのは、最終的な担当者は明日の社内コンペで決定するからだ。

「社内コンペ」とは、何ともビジネス色満載の調べであるが、

実際には、ひとしきりやってみて勝った者を担当者とするだけなのである。

「だけ」とは表記こそしたが、各々が真剣に勝ち筋を探求し、

感想戦によってそれを確認しあう。

こういう作業は、好みが分かれるため、

趣味嗜好の近い4人が結集したのも奇跡的と言えるのかもしれない。

パクッて何が悪い

さて、授業での話である。

例によって詳細なルール説明などは、偉大なブロガーたちの力をお借りすることとする。

saikoro-table.com

今回は、ゲーム終了後、具体的な場面まで戻して、

「この時の最適手は何だったのか」というのを考えるところまでやってみた。

やはり、小学生には具体的なアプローチの方がわかりやすいようで、

次回以降は、具体的な場面を、こちらの方で問題として出題するのも良いと思った。

それはそうと、今日は内容にはあまり踏み込まず、1回目と2回目のゲームについて書いてみたい。

ゲームの1回目というのは、理解している者と理解していない者との差が顕著に出やすい傾向にある。

今回の1回目のゲームでは、ルールを間違えた者もいたのだが、それ以上に、1人が圧勝を遂げた。ただ、おもしろいのはここからである。

2回目は、1回目に圧勝した者の手を全員が模倣しようと試みたのである。

「成功者に学べ」ということであろう。

その姿勢自体、素晴らしいことは言うまでもないことであるが、

こうした姿勢が涵養されることが、ボードゲームの一つのよさなのであろう。

ロールモデルが存在し、それを意識して行動することは、

勉強においても、仕事においても役に立つ。

娘とボードゲームをするときは、手心を加えず全力で立ち向かおうと、

改めて決意した瞬間でもあった。

下の子はお得!?

3歳の長女は、1本虫歯ができてしまった。

彼女は、歯磨きが嫌いだったのだ。

まぁ、口の中にひたすらに異物を数分間出し入れされるのだから、

嫌悪感があっても無理なき事であろうとは思うのだが。

歯磨きをしようとすると、リビングに泣き叫ぶ声がこだまする。

妻は根負けしたが、私は、そのあたりに親らしい感情をあまり持ち合わせていないせいか、淡々と処理(笑)

初回成功するまでは、2時間程度を要したが、それでもそれ以降は問題なく歯磨きができるようになった。

しかし、0歳の次女は最初から大丈夫だったのである。

彼女は、ストローも最初から使えた。

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同じ親から生まれて何が違うのか、それは、まさしくロールモデル」の存在ではないと感じた。

小さな子供にとって、親はロールモデルの対象とは必ずしもならないため、

上の兄姉の存在は、ロールモデルとしては都合がよい。

では、下の子は万能化というと、

上の子には、未知から道をつくってきた「開拓者精神」があるはずだ。

あるのである。

そう、何を隠そう、弊社は長男長女だけで構成されているため、

思想が上の子よりなのである(笑)

「開拓者精神」というと聞こえは良いが、「新しいもの好き」の「飽き性」という側面は否めず、その結果、我が家のボードゲーム棚は、もうすぐいっぱいになりそうである。

ワイルドなバイキング

失敗から得るもの

娘が好むゲームとしては、「スティッキー」や「ペンギンパーティー」がある。

そして、今回、そのラインナップに一つ「ワイルドバイキング」が加わった。

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先日の「すごろくや」のセミナーで体験したゲームのひとつであり、

ルールも簡単で短時間でできることから、購入して、妻と3歳の娘と早速プレイしてみた。

結果、娘が勝った。娘に負けた

もちろん、多少カードの出し方に配慮はしたが、

とはいえ、娘のカードの出し方に関してであり、自分は全力で勝ちに行った(笑)

運要素のあるゲームは、こうした点が一つの醍醐味と言えよう。

そして、一度、勝利の味に酔いしれると、これはある種の麻薬的な作用となり、

毎日のように、「黄色い箱のヤツやろう」攻撃が始まるのである。

例に挙げた、三つのゲームに関しては、すべて彼女に勝利経験がある。

やはり、人間にとって「上手くいった」経験は、他に代替できぬほど重要であるようだ。殊に、わずか46カ月しか、この世での時間を過ごしていない身にとっては、その意味は大きいのかもしれない。

ただ、これは大人にも言えよう。

自分が好きなゲームについて考えてみる。

既に100以上のゲームをプレイしてきているが、やはり、そのほとんどが、「上手くいった」経験のあるものである。

必ずしも「勝つ」必要はないが、ある程度「自分の想定通り」にことを進められることは、「好き」という感情を抱くに際して、必要な条件のようだ。

思うに、「面白い」とは、得てしてそんなものだろう。

世の中には色々な人がいるので、「うまくいかないこと」を楽しめる人もいるかもしれない。

いや、「うまくいきそうにない、うまくいかないこと」に面白味をかじられる人はどれくらいいるのだろう。

大人はみな、「失敗から学べ」という。

確かにそうだ。しかし、正しくは、「成功するために学べ」である。

同じようで、ベクトルが異なる。もしくは、成功に向くベクトルの強さが異なる。

結局、「人は成功からしか学べない」のではないかと思う。

成功したときに、過去の失敗が意味を成すという逆説的な状態が訪れるだけなのだ。

 

説明書の説明書は必要か

さて、前書きが長くなったが、元々書こうとしたのは、「ワイルドバイキング」についてである。

ルールは、いつものように詳細な説明をして下さる、先人たちのサイトに譲る。

sgrk.blog53.fc2.com

説明書の読み込み作業に関して、3点ほど間違えて進行した箇所があった。

今回はそのうちの2つの表現をピックアップしてみたい。

「前の人より多くカードを出すか、パスをします。

「サイコロで船が出て、宝石を置こうとしたときに、予備の宝石が1つもなくなっていたら即座にゲームは終了します」

 

まずは、一つ目。「前の人より」。

これは、ケアレスミスともいえるが、「より」と「以上」は同じではない。

よって、前の人と同じ数は不可ということになる。

算数の授業でも当然に指摘している部分ではあるが、

やはり実体験がある方が記憶に残りやすい。

ゲームの素晴らしい点はこのあたりにある。

 

二つ目の部分に関して。

終了条件は二つに分かれる。

「サイコロで船が出て宝石を置こうとしたこと」

「その際に、予備の宝石が1つもないこと」である。

予想通り、サイコロで船が出て、最後の宝石がストックから無くなった時点で終了としたのだが、

これでは、要件を充足したとは言えない。

ストックに宝石がない状態の中、サイコロで船が出て、

宝石を置こうとしたが、1つもない場合に終了なのである。

字にすると、少しわかりにくい。

しかし、実際にやってみると、すぐにわかる。

大学入試センター対策講義でもない限り、

上記の解説を文言だけでやろうとしたところで、上滑りするのは目に見えている。

仮に、中学受験でも一部の難関校受験生がついてこれたとしても、

やはり、ゲームを通じて、「文言」について考え、

実体験を通じて、文言の理解を深める方が、より教育的効果は高いと言えよう。

 

ゲームからの学習からのゲーム

こうして、ゲームを通じて国語力を高めようという狙いもある。

「狙いも」というのは、国語力と抽象的思考力をつけることの目的の一つは、

「より難易度の高いゲームに誘う」ことだからである(笑)

ということで、3月24日(土)は、「中学生ボードゲーム会中量級編」である。

ご参加希望の方は、下記よりご予約ください。

https://reserva.be/deepground

ご連絡をお待ちしております。

汝考えよ、さらば道は拓けん

五教科×ボードゲーム

先日、すごろくやのイベントに参加してきた。

sgrk.blog53.fc2.com

すごろくや代表の丸田さんはゲームの専門家

アナログゲーム療育の松本さんは療育の専門家

ということで、教科指導・進路指導が専門の私たちとは異なる観点からのイベントということで、とても楽しみに塾長と参加してきた。

「療育」的な観点は、完全に専門外ではあるのだが、

その意味では、自分たちとは異なるアプローチがあるということを知る良い機会となった。

また、丸田さんの思考力等に関するお話では、日頃から自分たちが話している内容と同趣旨のことが多く、再確認となる点が多かった。

ボードゲームを本当に楽しみたければ、五教科くらいやらなきゃ」は至言であろう。

プログラミングに関しても、弊社では、「言語」や「料理」など、

所謂“プログラミング”的なものは、積極的に取り入れていこうと改めて思うに至った。

DG的プラグラミングとは、「自分が思ったものを再現性のある形で作り上げること」である。

 

ボードゲームの教科指導的活用

さて、上記のイベントの中で、ボードゲーム体験もあった。

ワイルドバイキング」と「タイニーパーク」というゲームを活用したのだが、

タイニーパークはダイス運にも恵まれ、完成することができた。

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さて、その中で、ルールの読み合わせについてプリントをいただいた。

今まで、口頭試問の準備授業を念頭に、ルール説明は、

私が実施していたのであるが、説明書の読み合わせからやらせた方が、

生徒の国語力向上に資すると、自らの考えを改め、

前回の授業では、読み合わせから生徒が担当することにした。

前回の授業で用いたのは「3人の魔法使い」である。

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ルールの説明などは、私よりも丁寧な下記サイトに譲る。

saikoro-table.com

実際にやってみると

説明書の読み込みは意外と難しい。

なぜなら、同じ表記であっても、意味付けが必要だからだ。

すなわち、どこが幹で、どこが葉の部分なのかという、

重要性の軽重を意識しながら、自分の頭の中で再構成し、

読んだり、聞いたりする必要がある。

対象年齢は6歳からなので、決して難易度の高いゲームではないのだが、

それでも、説明書を読みこなすことは容易ではない。

 

1回目、説明書の読み込みが甘く、案の定失敗(笑)

「教科指導」の側面があるため、

・なぜうまくいかなかったか。

・読み飛ばしている(軽く扱ってしまっている)説明はないか。

・解釈の間違っている説明はないか

をしっかり確認。

 

今回は、1回目よりも善戦するものの、やはり失敗。

 

ここで、本ゲームの説明書を作ってもらうとともに、

成功方法についてしっかり議論する。

本ゲームはダイスを使うため、

「6分の1であっても、避けるべきリスク」など数学的な考え方も使いながら、

前プレイの反省と、勝利パターンについて考える。

 

そして、本ゲームを知らない教員が参加し、

生徒がルール説明&プレイである。

教員には、少しでもわからないことは質問するように言ってあるため、

前半は質問に答えるだけでも四苦八苦である。

後半のプレイはゴールに到達できなかったようであるが、

それでも生徒たちは感じるところ、考えることが多かったようである。

 

教科指導ならではの使い方

どうしても、教科指導だと「将棋の感想戦」のような

振り返りの時間が必要になり、

そして、それはそれなりに「きっちり」やる必要が出てくる。

しかしながら、ボードゲームは、より自然に

「先を見通すこと」「それに基づいてチャレンジすること」を設定しやすい。

この点は、前回も書いたところであるが、

今回やってみて改めてそのように感じた。

結局、自分で考え、実行し、うまくいくことの喜びを知る者は、

そのことを多くのことに波及させることができるのであろう。

 

宴のあとは

ちなみに、セミナーの後、二人だけの宴を実行した私と塾長であるが、

私はなぜだか、目が覚めるとと東中野の駅にいた。

そして、塾長は、解読困難な文言を社内チャットに残し、

ブログにも同様の文字の羅列を残した。

あれが暗号だったのか、はまたは、酔っていただけなのかは、

今週の金曜日明らかになるはずである。

 

 

模試は入試より出でて…

ガラパゴスと呼ばれて

桐朋女子の専門塾だった沿革から、

弊社には、「口頭試問」という授業がある。

(現在は、御三家以外の女子中に広く対応しています。

大手塾で一番上のクラスでない方、

御三家以外の学校が第一志望の方は、是非、一度ご相談ください。)

弊社の模試に関して、「口頭試問」は、私が全て担当している。

この科目が、また、評判が良く、評判が悪い。

問題を見て、解説に目を通した方(解説は2万字ほどあるので、全部お読みになる方は極めて少数ですが(笑))からは、

お褒めの言葉を預かることが多い。

一つの試問を作るのに、平均して15冊以上の本に目を通すため、

一つのテーマに関して、アラカルト的に多様な問題が並ぶ。

設問形式も、準備授業で導入をするもの、自分で読み進めるもの、

試問室でいきなり解答を求められるものと、受験生は対応に四苦八苦である。

 

さて、誰からの評判が悪いのか、一つは塾長である。

理由は単純。

問題が多様すぎるあまり、あまりに時間がかかるからである。

一人当たり、20分を想定している試問であるが、

現状、20分台で回すことができるのは、作成者の私のみで、

教育者精神に溢れる他の教員は、平均40分程度の時間を要する。

一人に40分も試問する、何と愛に溢れる模試ではないか。

何だかんだで、好き勝手に作問させてくれる塾長にも感謝である。

 

そして、もう一つ。

合格者祝賀会で言われるこの言葉。

「本番の口頭試問、すごく簡単だった」

「マジ、〇〇問でしたよ。」(〇の中は女子専門塾のため控えさせていただきます。)

ここで言い訳をさせてほしい。

確かに、私の問題も年々、進化してしまっている側面は否めない。

しかし、しかしである。

元々は、発想系の問題も多く、予想問題も当たることはなかったのである。

私の問題もガラパゴス口頭試問と呼ばれているが、

ご本家には、今一度、至高の問題を目指して頑張っていただきたい次第である。

 

口頭試問からDGラボへ

このような背景もあり、現在、口頭試問の授業を改変している。

内容としては、ボードゲーム活用しながら、

「主体的に考える」訓練をすることに主眼を置いている。

内容としては、

・ストーリーキューブを用いて制限時間に適した話を創作する

ボードゲームを説明をもとに実施する。

・その説明、戦略について考え、書く。

・当該ボードゲームを知らない教員にルールを説明し、必勝法が有効か試す。

・従来通り、口頭試問

といったところだ。

 

まずは、ストーリーキューブだが、思いのほか、難しい。

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写真を見てもらえば、わかると思うが、

これらがすべて出てくる3分のお話を、即興で作るとなると、

大人でも苦心することは必至である。

これにより、「脳みそフル活用状態」が作られる。

もちろん、作文でもよいのだが、

「話す」という行為の方が、より「考える」という作業を引き出しやすい。

 

次に、ボードゲームであるが、15分程度の簡易なものを使用している。

それゆえ、ゲーム自体は何とか滞りなくプレイできる。

最初の関門は、「ルールの説明」である。

この説明をもとに、実際にやったことのない教員にプレイさせるので、

説明が心許ないものだと、プレイがうまくいかないこともある。

さらに、「戦略」となると難しい。

実際に、プレイしてみると、飲み込みの早さや、先を読む力は一目瞭然なのだが、

ビギナーズラックは当然に付きまとう。

その中で、どのようにすれば、「勝つ確率をあげるか」という議論は、

思いのほか、小学生には難しい。

しかし、この議論の中に、「場合分け」「確率論」のベースのようなものは隠れているし、

全体を見通す、仕組みを理解する力は必要になってくる。

また、「ゲーム」の場合には、必然的に「勝敗」が付くため、

モチベーションを設定しやすい。

「テスト」も点数が明確なので、モチベーションを設定しやすいようにも思われるが、

より、ボードゲームの方がやりやすい印象だ。

 

今後のDGラボ

この授業では、「主体的に考える楽しさを実感する」ということを最重要視し、

今後も色々な形にチャレンジしていきたい。

本来的には、定型化された形式でない方が望ましいと考えているため、

前述の主題に沿った形であれば、フィールドワークなども随時取り入れていきたいと考えている。

理想形は、4人の教員が1週ずつ自分の得意なことを授業で展開することではないかと思いつつ、今年は男子もスタートしていたりと、何かと慌ただしいDGである。

 

 

学力とは楽力である。

早速授業で導入してみた

先週の記事で紹介した「ワンス・アポン・ア・タイム」を、

早速授業で実施してみた。

善は急げである。

というと聞こえはいいが、

思いついたことは、すぐにやらねば気が済まないタチなのである。

 

効果のほどは…

今回のルールとしては、

1 最初の手札は単語カード5枚、結論カード1枚

2 割り込み自由、結論カードの変更不可

3 単語カードの補充自由

4 あまりに脈絡がないと判断された場合には、ペナルティーとして単語カード1枚追加

 

という、正式なルールを簡略化したもので実施した。

 

ちなみにこれが「単語カード」

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こちらが「結論カード」

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この場合には、なんとか、

「そして正しい統治者が再び玉座に尽きました」

となるように話を進めていく必要がある。

 

一見簡単そうに見えるのだが、なかなか思うようにいかない。

やたらに、魔法使いが人を殺めたり、

超イケメンだったはずの王子様が突然クズ野郎に変貌を遂げたりと

物語はめまぐるしく展開されていく

自分の思い通りの展開にならないことはもちろんであるが、

ある程度の語彙力想像力連想力がなければ先には進まない。

 

全体を3グループに分けて実施したが、

私のグループは2回ゲームが終了したが、

塾長と桜井のグループは1回もゲームが終了しなかった。

教員は進行役を務めただけだが、纏うオーラの違いなのか、

結果には差が出た(チームは国語のテストをウェーバー順に並べているため、学力には偏りがない)

 

ただ、全体的にとても楽しく進行することができた。

いつになく、全員の脳がフル回転していたに違いない。

いつになくでは困るのだが(笑)

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で、「何になるの?」

もちろん、これをやったからと言って、突然作文の能力が向上していくわけではない。

そのことは、前回述べたとおりだ。

ただ、やっていただくとわかるのだが、

思いのほか難しい。そして、楽しい。

 

ゲームというのは難しいもので、一人でも、

「おもしろくない」といったような、

天邪鬼気質を発揮されると、途端にゲームの進行が難しくなり、

楽しさは半減する。

教材として使う際は、ここが一番難しいところだ。

その意味では、「社会性」が涵養されていくともいえるだろう。

 

また、「考える」「連想する」という作業が、

習慣化されるのも、このゲームの強みではないだろうか。

「ゴールから考えなさい」、「目的から考えなさい」と大人は口にするが、

子供たちに、正確に伝えることは思いのほか難しい。

しかし、このゲームは「結末カード」を出さなければいけないため、

否が応でも「結論から考える」ことになるのである。

 

知好楽

そして、これらを支えているのは、間違いなく「楽しさ」だ。

「楽しさ」の種類はいろいろある。

個人によっても異なるし、年齢や性別によっても異なる。

どの「楽しさ」でもよいが、「楽しさ」のないものは反復が難しく、

定着が悪い。

「楽しい」と感じる仕掛けが、奏功しているのなら、

これを使わない手はない。

一つのやり方が直線的に学力を向上させるというよりは、

様々に蒔いた種が、楽しさを媒介して相互に結びつきながら、

学力を向上させていくのだ。

 

妻は研究者!?

ちなみに、昨日夫婦で「ナンバーナイン」というゲームをした後の一幕。

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結果は、私の2戦2勝☆

その後、一人で配置について考える妻。

こういうのが「勉強」なんでしょうね(笑)

 

 

 

 

一游一会

ボードゲームが結ぶ

ボードゲーム×子育て=ボ育て

なる書籍があることを知り、早速問い合わせた。

とても丁寧にご対応いただき、保護者会にて配布することができた。

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縁とは不思議なもので、お読みいただいた保護者様から、

ボードゲームが好きな方をご紹介いただくことになった。

 

枯山水を手にするあの日まで、こんな日がこようとはつゆにも思わなかったが、

一つの趣味が、仕事に通じ、ご縁へとつながった瞬間であった。

ちなみに、この枯山水というゲーム、

「徳を積む」「砂紋がきれい」など通常の生活を送る人間は、まず口にすることのない用語が飛び交うのも面白い。

徳を積んで、人から強奪するというのも実にシュールといったところか。

 

さて、弊社にお招きし、with my children という状況ではあったが、

とても有意義な時間を過ごすことができた。

 

弊社では、私がゲームを仕入れるため、どうしても嗜好が偏りがちである。

そういう意味でも、とても新鮮な感覚を味わうことができた。

 

 

ボードゲームが教材へ

 

ただ、そこは職業病が顔をのぞかせる。

先方のご配慮もあったのだと思うが、

国語の教材として活用したいなと思ったものがこの二つ。

 

「ワンス・アポン・ア・タイム」

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「ウォッチャ」

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ルールの説明は、リンク先に譲る。

ご興味のある方は、是非ご覧いただきたい。

 

私、末廣の性格をよくご存じの皆様、ご想像のとおり、既に購入いたしましたので、

実際に遊んでみたいという方は、ご連絡ください。

 

ボードゲームから学びとること

 

二つに共通しているのは、

「連想すること」

「主体的にゲームに参加する必要があること」

「語彙力を必要とすること」

である。

 

「受験」や「勉強」という言葉からは、直線的な解法の存在がちらつく。

しかし、現実にはそうではない。

安易な詰め込みに終始する者よりも、背景にまで気を配り、

知識を有機的に結合させていく力のある者の方がよい結果を生みやすい。

しかし、難しいのは、「つなげて考えるんだよ」と示したところで、

生徒自身がそれを体感したことにはならない点である。

その意味では、「連想」という要素は、教材として非常に魅力的に映った。

 

そして、これらのゲームは、所謂“手番”がない

主体的に思いついた者から参加することができるルールなのだ。

この点も魅力的で、「順番が来たから何となくカードを出す」という消極的な姿勢が排除される点も、教材としては扱いやすい。

どんなに優れた教材も、授業も、結局は生徒自身の主体性がなければ、

飛躍的な向上にはつながらない。

大人にできることは、子供自身の主体性に働きかけることで、それ以上でもそれ以下でもないと思っている。

 

最後に、「語彙力」。

「語彙力」は、活字を読むことでしか涵養されないというのが私の持論だ。

勿論、弊社にも語彙の教材はあり、できる限り効果的な内容にしようと英知を結集しているが、

やはり、自ら手に取った書物に描かれていた場合ほどの効果は、難しいところだ。

 

 ボードゲームは楽しい

 

ボードゲームを教材に」というと、職業柄、

「何になるの」

と聞かれることが多い。

論理的思考力とか判断力とか、…そうした御託を並べることになるのだが、

基本的には、何かしらの能力が涵養されることをスタートとするものではない。

当たり前だが、算数を解けるようになるには、算数の問題を解くことが最も直截的である。語彙に関しても然り。少し難しめの本を読むことに勝るものはない。

では、何がいいのか。

それは、いつの日かのブログでも書いた「楽しい」ということだ。

あくまで、出発点はここである。

「楽しい」ことを前提として、そこに付随して色々な力がついてくる。

これは、ゲームに限らず、結局は楽しいことでなければ続かないのであって、

自分にとって「何が楽しいか」、

そして、この「楽しい」は具体的なものであったり、

抽象的な思考であったり、

様々に存在し、さらに共存しているのであろう。

 

 

とあれこれ書いているうちに、低学年向け体験授業の内容が思いついた。

ボードゲームで学ぶ国語・算数・理科・社会」

 

教材研究には余念がない。