塾講師、かく語りき

塾講師、かく語りき

合同会社ディープグラウンド(DG)が運営する、京王線千歳烏山駅にある中学受験塾、烏山進学教室。講師が語る、学問に関係あることないこと。

第2回 ボードゲームママ会(おすすめボードゲーム 幼稚園part3)

人生で初めて餅を食す

先日の土曜日は、幼稚園の餅つき大会。

私もチームパパの一員として、朝から参加。

昔、そのまた昔、祖母の家でやったことがあるような、ないような。

そんな記憶の彼方にあった経験を、幼稚園の行事で体験できるということで、

東京生まれ東京育ちとなる娘にも良い経験となることであろう。

火を起こして、かまどでもち米を蒸すところからのスタート。

何とも原始的。そして、テンションは上がってくる。

ただ、一つ問題が…。

 

寒い。

 

ということで、いつしかかまどの近くへ。

いざ、餅をついてみると…

積年の運動不足のせいもあり、思うように体は動かず。

 

当日と翌日は、採点の赤ペンがプルプルと小刻みに揺れていた(笑)

 

この仕事をしていると「お正月」という実感が湧かない。

お酒、ボードゲーム…我が家の正月には、世間一般の正月らしいものがないのである。

そんなこんなで、この日、長女は初めて「餅を食べる」ことになる。

そこは時代で、前日にきちんと「youtube」で二人で予習をしていった結果、

初めての餅にも拘わらず、きちんと伸ばしながら食べている姿は、

 

THE 幼稚園の餅つき

 

恙なく、無事に人生初の餅つき&実食も終了した。

翌日の私の筋肉痛を除いては。

 

第2回ボードゲームママ会

土曜日が登園日ということで、月曜日は振替休日。

 そこで、同じバス停のママをお呼びして、第2回ボードゲームママ会。

私は仕事のため、ラインナップの準備と一つ目のゲームのインストをして出社。

とはいえ、前回とメンバーが違うため、ラインナップのベースは前回と同じ。

今回は、2回のボードゲームママ会を経て、特に共通して好評だったものを挙げてみたい。

言い訳的な蛇足ではあるが、準備したものはすべてそれなりに好評だったことは付言しておきたい。

 

幼児編

ウミガメの島

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ウミガメの島

詳細はこちらから

www.boardgamepark.com

これはやはり鉄板のようだ。

理由について、自分なりに考察してみた。

まずは、ダイスを振って目の数だけ進むという「すごろく」の形式をとるため、

インストがわかりやすい!

幼稚園児でも、プレイするだけなら難なくできる。

また、園児にもなると、「足し算」を学習中の子供も少なくないと考えられるが、

ペーパーベースでやってきたことが役立つ機会となり、

自分がやっていることへの自信を持ちやすい

もちろん、期待値の計算まではできないが、「危ない」かどうかの判断くらいはだんだんできるようになってくるだろう。

さらに、他のプレイヤーに「乗る」というインタラクションも、子どものウケを一層誘う。

 

また、保護者目線からしても、「足し算」やちょっとした「確率」っぽいものが登場するため、「勉強要素」を感じやすい。

 

私たちの属性として、「勉強要素」を求められるのは、ある程度致し方のないことで、

というか、むしろ、今後はそうした属性を活かして、事業展開を進めていきたい。

ボードゲーム関連のお仕事、中学受験関連のお仕事、いつでもお待ちしております。

 

ナインタイル

写真無くてすみません。詳細はこちら

www.youtube.com

やはりこれも鉄板。

インスト不要で、ソロプレイも可能とくれば、パズル好きがハマらないわけがない。

ボードゲーム」っぽさは少ないものの、そんなことは子どもたちには関係ない。

また、ルールの遵守についてのハードルが著しく低いことも人気の一因と言えよう。

 

幼稚園ママ編

サニーディ

 


こちらは、他のプレイヤーとのインタラクションもあるタイプのパズルゲーム。

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サニーディ

詳細はこちらから

bodoge-note.com

基本的には、「絵を合わせる」だけなので、子どもたちもプレイには支障がない

もちろん、勝つために戦略的にやろうとすると、意外に難しく、

この辺りの「できるけれど、難しい」、「単純だけれど考えどころがある」というところが、保護者受けがよい一因と言えよう。

また、何といってもこのビジュアルである。

女子ウケを誘う、フォトジェニックなビジュアルが、やわらかい雰囲気を醸し出している。

 

What's up

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What's up

こちらは、以前授業で扱ったことを紹介したメモリーゲーム。

モリーゲームは何となく、「頭を使った」気分になる。

(自分がメモリーゲームに弱いので、少し意地悪な表現になっています。)

また、このゲームは「裏側」を考えたり、他人の邪魔をしたりと、

ちょっとした思考要素も含んでいる点もウケがよい一因と言えそうである。

 

“ママウケ”に関して総じて言えることは、

・単純で子供とできる

・それでいて、考えどころがある

・ビジュアルがかわいらしい

 

と言ったところだろうか。

 

仕事から帰ると

仕事から帰宅すると…

妻と長女はソファーで爆睡である。

そう、

 

ボードゲームは疲れるのだ。

 

この疲労感は、表現しづらいのだけれど、

身体的には元気なはずなのに、ぐったりくる独特の疲労感がある。

 

それだけ、「考える」というのは、疲れる行為なのだろう。

 

ということで、「考える機会」を提供するという意味でも、

単なるボードゲームスペースでもなく、単なる塾や教室でもない、

新たな低学年向けの事業を4月にローンチすべく、現在、授業の傍ら構想を練っている。

とりあえず、今年度中は無料またはワンコイン程度で遊んでいただいて、

何がどのように効果的なのかを見極めたいと考えているので、

ボードゲーム」にご興味がおありの教育関係者の方、

「教育」にご興味がおありのボードゲーム関係者の方

金髪の塾講師にご興味がおありの方で、

手前どもにご興味の方がいらっしゃいましたら、お気軽にお声掛けください。

特に、幼稚園生のお子さんがいらっしゃる方は大歓迎です!

出張でのご対応なども承っております。

 

布団から出ることの葛藤

12月。いよいよ寒くなってきました。

雪国出身の私ですが、寒いものは寒い。

東京の寒さは、言うなれば「冷えたコンクリートの寒さ」

案外こういう時期は、防寒のしっかりした雪国の方が過ごしやすかったりしますね。

※家から出ていない場合に限る

 

ところで、最近知った、いい曲です。

youtu.be

 

冬の朝に発生する葛藤を歌った曲。

グループ名がすごく気になりますが・・・

 

寒いとわかっていて布団から出るのは大変ですよね。

結局布団から出ないと生活できないので起きるわけですが、ずっと寝ていてもいいなら寝ていたいです。

 

私の知り合いに、こういうとき「どうせ起きなきゃいけないならすぐ起きた方がいいだろう」と考えられる人がいて、うらやましいメンタルだなぁと感心しています。

私はどちらかというと「どうせ起きなきゃいけない時が来るから、それまでは寝ていたい」派です。だから毎朝時間と戦うことになるのですが・・・。

 

 

この考え方の違いは、布団から出ることのメリットを見ているか、デメリットを見ているかの違いのように思います。

私の場合、布団の外は寒い(デメリット)と考えているので、外に出たいとは思いません。

できるだけ長い時間、安心できる場所にいて、精神と体温の安定を楽しみたいのです。

一方で知人は、布団の外に出れば一日が進む(メリット)と考えています。

「先んずれば人を制す」という言葉もある通り、タスクを先にこなすことは、それだけで利益を生みます。

 

 

考えてみれば、1日にやるべきことがあり、それを早く終わらせれば、夜の選択肢が広がります

朝早く起きた分だけ夜早く布団に入ることができますし、それ以外のことにも使える時間ができます。

私のような行動を取ると、朝を布団の中で悠々と過ごした結果より使い勝手の良い夜の自由時間を消費してしまった感じです。

 

イメージとしてはこんな感じ。

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比較のため、睡眠時間と生活時間(仕事や家事含む)の長さを等しくしました。

 

私が朝、布団の中で時間を消費したことによって、夜の自由時間が短縮されています。

もちろん、布団の暖かさも自由の一種であると考えれば、自由時間も同じ長さなので実質的な時間利用の違いはありませんが、改めてこうやって考えると布団の中で過ごす時間がもったいなく感じますね。

 

 

さて、受験塾として結局この問題が行きつくところは、「宿題を先にやるか後にやるか問題」になると思います。

先に終わらせて余暇を楽しむか、先に楽しむだけ楽しんで火事場の馬鹿力に頼るか。

お察しの通り、私自身は後者にあたりますが、世間的に優良とされるのは前者ですね。

 

私も生徒にはよく「宿題やってから遊びましょう」と言っておりますが、それは自分自身がこの性格で苦労してきた経験があるからです。

 

 

・・・とはいえ、布団の魔性な魅力には抗えないもの。

時間ギリギリまで惰眠をむさぼるあの心地よさは、布団でしか味わえない独特のものですからね。

 

冬が本格化する前に、新しい布団セットを買おうかどうか悩みながら書いた記事でした。

塾講師が考える「本番に強い」タイプ

練習は裏切らない!?

今日は長女の幼稚園のクリスマス会。

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幼稚園のクリスマス会

なにやら、クラスで「劇」らしきものをするらしい。

「セリフ」は覚えたのか確認してみると、自分のセリフはおろか、

他のパートまでほとんど覚えているようだった。

そもそも、「劇」や「お遊戯」というシステムに馴染めないだけでなく、

人様にあまり興味がなかった私にとっては、この時点で相当な驚きである。

しかし、今までの彼女の行動パターンから、当日がどうなるか予測はついていた。

私は年末の忙しさにかまけて、幼稚園にはいかず、妻に当日の話を来たのだが…。

「どうだった?」

笑いながら、顔を横に振る妻。

「どうだった?」

照れながら、顔を横に振る娘。

 

そうなのだ。我が長女は「初物」に弱いのだ。

さらに、「人前」にも弱いのだ。

つまり、「初めての」「親の前での」発表会に弱いのだ。

 

あんなに生き生きと家でやっていた「セリフ」も「踊り」も、

当日は、どこ吹く風でモジモジ仕様(笑)

お隣に座られたお母様には、「普段の様子からは意外」と言われたようであるが、

私たちにとっては、想定通りなのである。

 

とはいえ、性格は変えられないし、緊張も人見知りもしない父に的確なアドバイスができるはずもない。

これは、彼女自身が自分の力でいつしか越えねばいけない壁である。

 

「本番に強い」とは

習い事でも勉強でも、「本番に強いタイプ」「本番に弱いタイプ」というのはよく言われる。そして、確かに存在するように思う。

ただ、「本番の七割力」というのもよく言われるところで、基本的には、本番で実力のすべてを遺憾なく発揮できる方が少数派とも言える。

それだけに価値が高いとも言えようか。

そこで、私なりに考えた「本番に強いタイプ」について考えてみたい。

 

1 根っからの勝負師タイプ

残念ですが、いるのです。このタイプ。

これは、努力だけでは、なることも作ることもできない。

今年も、6年生からの受験勉強スタートで首都圏模試70近く偏差値がある生徒がいるのだが、まさしくこのタイプ。

先日、「模試どうだった?」と聞くと、

「楽しかった」

なんて答えが返ってくる(笑)

本人は才能・ひらめき型というよりは、コツコツ積み上げ方で、

1年とは言え、積み上げてきたことは立派だけれど、

それにしても、勝負強いなと言う印象。

ボードゲームなんかさせてみても、さっさと自分のポジションを取ったり、先行者利益を狙ったりと迷いがない。

もちろん、今までの経験から研ぎ澄まされていくものもあるのだと思うが、

このタイプは目指せて目指せるものではない。

 

2 自分を客観視できるタイプ

これは、「本番に強い」というよりは、純粋に「実力がある」とか「実力が付く」という表現の方が適切かもしれない。

自分を客観視できるとは、

例えば、「自分は緊張するタイプだ」と認識する。

そして、「緊張すること」を前提に、どう対処すればよいかを考えて行動できるタイプのことだ。

必要以上に理想にとらわれることなく、現実の自分を思考のスタートに自然とおくことができる。

そして、良い成果を上げるためになすべきことを、冷静に実行に移すことができるのがこのタイプのすごいところだ。

緊張に限らず、「この分野はいつも自分の感覚よりも点数が低い」、「こういうタイプの問題にミスをしやすい」というようなことを、客観視できるタイプは、PDCAをきちんと自分で回せるため、実力も向上し、本番で大失敗をする確率も少ない。

ただ、殊に小学生の場合には、こうしたことをいくら大人が伝えたところで思うようにはいかないところだ。

やはり、「自分で」自分を客観視すると、もっというと、

自分で客観視することの必要性に気が付く、ということが大切になってくる。

目指すならこのタイプだ(長女よ、お前のことだぞ!)。

 

3 これは余談ですが

手前みそになるが、弊社では12月の模試から、偏差値15くらいひっくり返す生徒が毎年出てくる。

これは、上記二つというよりも、本人の熱意とこちらの戦略が見事にはまったパターン。

まずは、大前提として、本人の熱意。これがないとあらゆるものは上滑りしてしまう。

そして、手前どもが練りに練る戦略

出題傾向、今年の動向予測、本人の能力を総合的に考慮し、保護者の方のご意向もきちんとお聞きした上で、リスクを最大限に取りながらの出願をしていくパターン。

正直、そもそも「一発逆転狙い」というやり方は好きではないし、毎回必ず当たるわけでもない。

12歳にして、順調に真っ当な勉強を継続してきた受験生の方が、ある意味ではすごいといえる。

 

ただ、ぴたっとハマった場合、「奇跡的な」ことが起こること、これもまた事実である。

そして、ここ数年、毎年このようなことが起きているのも事実。

ただ、喜ばしい反面、「逆転合格専門塾」みたいに捉えられてしまうのは、少し違うかなという気がしないでもないが、

ほとんどの生徒が転塾生の現状に鑑みれば、致し方ないともいえる。

ということで、4年生、5年生の受講生、まだまだ募集しています!

 

 

 

塾屋稼業のかなしい性

幼稚園の発表会に関して、妻が真っ先に印象として口にしたのは、

長女が本番でもじもじしていたことでも、

誰よりも目立っていた同級生の話でもない。

 

幼稚園の先生方の準備である(笑)

 

直接、「子どもはとにかく、先生方の準備は本当に大変ですね」と直接伝えるくらいである。

悲しいかな、子どもの初めての発表会で生誕の日からこれまでの日々が走馬灯のようによみがえり、成長に涙する幼稚園ママの姿はそこには無い(父の場合もっとない)。

 

通常業務のなか、これだけの準備は本当に大変だろうな

4歳児をうまく回すオペレーション…想像できない

 

こんな感想ばかりが脳裏を支配する。

思えば、弊社のBBQイベントは休日返上、連日の深夜作業がこのところの定番。

上がり続けるハードルの高さ(自分で上げているだけです。)と下がり続ける体力の不協和音の中、戦い続ける日々が、また来年やってくるのである。

皆様、こうご期待。

 

 

 

おばけの存在と文明の利器

昨日今日の雨で、気温がぐっと下がった東京。

先々週あたりからずっと体の調子(特にのど)が悪く、困ったものです。

 

そんな状態なので、最近休日は家のパソコンでネット上の記事を読んだりして過ごしているのですが、先日、

またやってしまいました。

 

以前こんな記事を書いたことがあるのですが、

 

keio-juku-gakudo.hatenablog.jp

 

 

あれだけ苦手だと言っていたのに、小さいころからダメだと言っていたのに、たまたま見つけた怖い話をまた読んでしまいました。

 

あっいけない!と最初思っても、少し気になってしまうと、怖くなるところまでなら・・・とか言って読み進めて、恐怖心に憑りつかれる。

これ何なんでしょうね・・・。

 

友人にこの話をしても、

「じゃあ読まなきゃいいじゃん」

というド直球の正論を返されてしまいました。

確かにその通りなのですが、でも読んじゃうのはなぜなのか・・・。

 

ということで、今まさに1人でいるのが怖い状態です。

 

 

おばけの存在と文明の利器

表題のお話。

 

精神ボロボロの状態になりながら読んだ怖い話。

このまま負けてすごすご撤退するのは惜しい。

 

ということで、色々読んだ中でちょっと気になったお話について触れてみましょう。話のネタにすることで、恐怖心が少しは薄れるかもしれませんからね!

 

 

いくつか読んだ怖い話の中に、こんな感じの話がありました。

 

 

 

※ここから怖い話!

※ホラーとかおばけとかが苦手な人は、読み飛ばしてください!

 

 

深夜、男2人(A、B)で廃墟探検に行った。

中を一通り探索するも、特に何も出てこなかった。

せっかくなので記念写真を撮ろうと、Aを建物の前に立たせて、Bがスマホを構えた。

すると、画面の端、Aと離れた何もないところに顔認証システムが反応・・・!

しかもその顔認証の位置が、徐々にAへと近づいていく・・・。

それに気づいたBが「逃げろ!」と叫び、2人は一目散に逃げだした。

 

 

 

というお話。

とりあえずカメラの顔認証はすぐオフにしましたよね。

 

 

怖い話の代表格のひとつといえば「心霊写真」

写真に謎の影が写り込んだり、写ってる人の体の一部が無くなっていたり・・・。実際にはありえないような現象が写っていることに、恐怖と注目が集まったものでした。

ですが昨今、画像編集ソフトが一般的になってからは、「どうせ加工写真でしょ」と言われて、以前ほどの貫禄(?)はなくなっています。

 

一方で、上のような顔認証の話は、検索すればいくつもヒットし、都市伝説として一定の地位を確立しています。

youtubeにも検証動画がアップされているみたいですね。

※もちろんこちらも動画編集ソフトでいくらでも加工はできるのですが。

誰もが持っているアイテムが恐怖体験の入口になってしまうということで、その身近さから、勢いはこちらの方にありそうです。

 

つまり、カメラ技術の進歩が、おばけの在り方にも影響を与えたことになります。

時代とともにおばけも姿形を変えていくのですね。

 

たとえば、昔は色々なところに井戸があり、井戸幽霊も多かった。ですが現在では、井戸はそんなに多くありませんから、井戸幽霊もそんなにいないはずです。

ということは井戸幽霊の仕事の減少が著しいことになり、そうなると井戸にいた幽霊たちは他の土地に転職しなければいけなくなるわけです。

それが廃墟だったり、マンホールだったりするのかな・・・?

 

他にも、かつて一世を風靡した呪いのビデオの話。

DVDやBlu-rayに姿を変えて、都市伝説として存続しているのでしょうか?

 

ポケベルのサービスが来年9月に終了するということは、ポケベルの怪談も昔話になってしまうのですね。

 

あ、接続されていないBluetooth機器から雑音が鳴り響くって、現代の怪談っぽいですよね。

おばけ感が薄いのであまり怖くなさそうですが・・・。

 

 

そしてさらに、未来のおばけを大予想!

将来、自動車の自動運転が普及して一般化したら、

「自動運転で山奥の怖いところに連れていかれた」という怪談話が出てくると思います!

というか、現代でも強引にハンドルうばってくるおばけもいるんですから、自動運転っておばけに対して脆弱すぎやしませんか?

私自身はペーパードライバーなので、自分で操作しなくて済む自動運転は大歓迎なのですが、開発者の方々にはぜひ、おばけに乗っ取られない強靭なシステム開発をよろしくお願いしたい所存です。

 

 

まぁ、怖い話というのは必ず「話し始めた人」(実際の体験者かもしれないし、創作者かもしれませんが)がいて、「話を聞く多数の人」がいます。

で、怪談が成立するためには、それらの人に怪談の根幹となる共通の認識が無ければいけません。

アフリカの人に日本の皿屋敷のお話(お皿をかぞえて1枚足りない話)をしても、たぶん理解してもらえないでしょう。

ですから、その時代の世相が怪談話に大きな影響を与えうるわけです。

 

時代とともに移り変わる怪談。

新しいお話が出ては消え、出ては消え・・・をくり返します。

それこそおばけみたいに!(ドヤ

 

というわけで、怪談は無くならないし、誰かの手によって更新され続けていきます。

そして最新記事につい興味を引くようなタイトルがのぼり、おばけが怖い人がつい見てしまい、夜眠れなくなるのです。

 

今日もこれから後ろを振り向かず、耳をすませず、目を凝らさずに気をつけて帰ります。 

 

 

業務連絡

先週の日曜日、本館倉庫のA3用紙の在庫を確認するように言われたので、

「3箱くらいあります」

とお伝えしたと思いますが・・・

 

ごめんなさい。虚偽報告です。

 

あの暗いところを覗くのが怖かったので、外からパッと見で個数を推測しました_(._.)_

今度、明るくて他に誰かがいるときに確認します!

中学受験塾講師が実践した年少児に繰り上がり・繰り下がりをマスターさせた方法

「タイムレース」って何?

先日土曜日は、新五年生、新四年生、男子部の説明会だった。

人前で話すことは大好物なので(講演とか対談とか何かしら依頼などありましたらいつでもお受けします(笑))、それなりに充実した一日だったのだが、準備段階で毎年生じる問題がある。

 

「教材名が独特すぎてわかりづらい」

 

弊社はすべてをオリジナル教材で構成されているため、作成者の思いがその教材名にも込められている。

 

ウソです。

 

名前やデザインやカリキュラムを全て決めているのはです(笑)

作成者の思いは、教材の中にふんだんに込められているものの、

きっと作成者も受講生も名前になんて興味はないだろう。

例えば、12月に毎年渡す問題集の表紙がこちら。

 

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游於藝

その名も「游於藝(げいにあそぶ)」

カッコいいでしょ? カッコいいですよね?

ところが、この教材、現在では多くの受講生が「紫のヤツ」と呼んでいる。

しかも、あろうことに時には教員まで(泣)

他にも省略されて呼ばれている教材も少なくない。

「マスぺ」とか「センリ」とか「キュウジン」とか…

 

そんな中で、創業当初から君臨し、全学年全科目に存在し、

だれからも省略されずに呼ばれる教材がある。

それこそが、「タイムレース」である。

「タイムレース」??「時間競争」??なんじゃそりゃ??

という感じなのだと思うが、要は小テストである(笑)

ただし、名前に偽りはなく、時間制限はかなりタイトだ。

例えば、6年算数だとこんな感じ。

(ちなみに公開していいのかというご心配をいただくことがありますが、手前どもは「教材屋」ではないので、お使いになりたい方はどうぞ。その際、ご連絡いただけますとよりうれしいですが、なしでも構いません。)

 

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タイムレース(約束記号)

この回は「約束記号」だけれど、算数の場合、本体とは別にこうしたタイムレースを3つ他の教科は1つずつ実施している。

算数に関しては、間違えた問題を解き直し、その途中過程を運営部長の厳正なチェックの下をかいくぐり、平日の演習を通じて処理に落とし込むというのがこの教材の趣旨。

大人でも厳しい、というか無理な時間設定なのだけれど、やはり子供は「時間を区切った」方が集中力も持続しやすいということで。

これを、計算ドリルが嫌いだった私が設計したというのだから、

いつの世も現実は複雑怪奇なものである。

 

やり方って何?

さて、先日、twitterでつぶやいたこの記事。

長女は私と違って「計算ドリル」は嫌いではない。むしろ好きなタイプだ。

それでも、あまり4歳の年少児に計算ドリルをさせるのは気が進まない。

この画像を見ると、さぞや塾講師の親が反復練習で鍛え上げたに違いないとお思いの方もいらっしゃるだろう。

そこで、4歳児に教えた方法をここに披露したい。

それは、

 

ひたすら数えろ!

 

ただそれだけである。

指でもいい。別の紙に〇を書いてもいい。

たし算だろうがひき算だろうがそんなことは関係ない。とにかく数えろ!とだけ伝えた。

巷ではさくらんぼ算」なるものも流行していると聞く。

js-mama-onayamikaiketsu.com

もちろん、この「やり方」については知っているし、このやり方を否定するつもりは毛頭ない。

むしろ、使い方を誤らなければ、よくできた方法といえよう。

問題は、4歳児でこのやり方を知っている意味があるか、ということである。

断言しても良い。

 

ない

 

「やり方」は後でも教わることができる。

ただ、もしかすると「ひたすらに数える」うちに自分なりに気が付くかもしれない。

あるいは、頭の中だけでできるようになるかもしれない。

「やり方」を先に教えることは、この機会を奪ってしまう。

4歳児でたし算ができようが、かけ算ができようが、そんなアドバンテージは大した意味を持たない(と塾屋の私が言ってしまう(笑))

ただ、「ひたすらに数える」ことで、「考える体力」は養われるのではないだろうか。

私がここにいう「考える体力」とは、「集中力」+「胆力」である。

職業柄、これらについては小学校低学年までにしっかりとつけておくことが望ましいと感じている。

それは、何も英才教育を施すということではなくて、時には時間を忘れ図鑑とともに夜更かしをするでもいいし、広大な自然の中で懸命に虫を追いかけるでもいい。

「集中力をもって最後までやりきる」体験を数多くしてほしい。

そして、できる限り大人の手を借りずに。

「何をやるか」ではなくて、「どのようにやるか」こそが大切なのだ。

今回のツイートに関していえば、たし算やひき算の答えがあっているかどうかよりも、「自分から」「問題を設定し」、それを解いたことの方が価値がある。

計算自体を早く正確にさせるのならば、市販のドリルを使った方が効果的だろうが(現に娘の作成した問題はひき算にかたよっている。)、

それは、いつか訪れる受験期にやってくれればよい。

 

長女の苦手なもの

そんな中で、長女が「集中力」+「胆力」を著しく発揮できない分野がある。

「食事」である。

本を読んだり、何かに取り組んでいるときはわき目も降らずやるくせに、

食事となると、テレビがついていようがついていまいが、

何かしら他のことに気がとられるらしく、…

そして小食なのである。。。

振り返れば、今でこそ大食漢に近い私も、元は小食で、

今であれば確実に教育委員会で問題視される高校野球「食い練」によって胃袋の拡張を余儀なくされたわけで…。

こういうどうでもいいところが私に似てしまったのだろうか。

許せ、長女よ。

もう一点。

君は生まれたときから、

「残念ながらパパそっくり」と皆に言われているのだよ(笑)

 

 

 

 

チョコボールを一気に3個食べる癖

秋になり、寒くなり、体の芯が冷えることも多くなってきた今日この頃。

こんな時に食べたくなるのが甘いもの

元より甘いものに目が無い私ですが、毎年秋になるとお菓子業界が秋の新作としてとても美味しそうな力作を発売してきますね。

今年は私の大好きなホワイトチョコ商品が色々売られていて幸せです。

 

 

一気食いのメリット・デメリット

さて、タイトルのお話。

書いてある通り、私はチョコボールを食べるとき、何個かまとめて口に放り込んでしまいます。

ポテチも一気に2枚食べたりしますし、ポッキーも何本かの束にして食べます。プリッツも。

 

要はお菓子を1個単位ではなく、一気に何個か食べてしまう癖がついてしまっています。

 

この食べ方のいいところは、口内いっぱいにおかしが広がり、瞬間の満足度が大きいことです。

チョコをほおばるとすごく幸せな気分になります。

おかしの甘さとともに幸せを感じられるなら、これ以上の食べ方は無いと思います。

チョコボールは1粒が小さいので、何個か口に入れないと満足できない部分もあります。

 

ですがもちろん、わかりやすいデメリットもあります。

この食べ方、おかしがあっという間になくなってしまうので、コスパが悪い。

3個ずつ食べていくと、1個ずつ食べている人の3倍の速さで消費していきますから、気が付くと2箱目に手が伸びていることもよくある話です。

おかしの食べ過ぎが、健康的にも金銭的にも良くないのは明らかですね。

 

あれ、デメリットの方が大きい・・・?

 

 

まとめ思考

私のこの癖がなかなか抜けないのは、私の根底に「まとめてやろう思考」があるからです。

 

昔から、物事はまとめて一気にやる方が効率的だと考えています。

例えば1週間分の宿題が出たとします。

毎日やっていると「休み0日」と感じてしまいますが、最終日にまとめてやれば「休み6日」と考えられて得な感じがしますよね。

学生時代には、1回の食事で1日分の栄養を全部摂った方が楽だとか考えて、1日1食を実践していた時期がありました。

他にも、ゴミ捨てはゴミ袋がいっぱいになってから。(逆に言えばいっぱいになるまで捨てない。)

日記も1週間分くらいまとめて書いたり。

 

こんな風に書くと、ろくな考え方ではないことがよくわかってしまいますね・・・。

 

 

結局これらの思考・行動は、私なりに「物事を効率的にやろうとした結果」です。

が、見ての通り、確かに「効率」はいいかもしれませんが、「それ以外の何か」が明らかに犠牲になっています。

宿題のくだりとか、今こうして塾の先生をやっていると、あり得ない思考だとよくわかりますね(笑)

食事なんて今実践したら絶対体調崩します。多少の無茶が利く若いころにしかできません。

 

 

効率化の犠牲

効率化は、可能なのであれば良いことだと思います。

ただし、効率化は、物事をある方向に推し進める反面、何かしら犠牲になる部分が出てしまいます。

1日1食は「健康」、ゴミ捨ての話は「室内環境」でしょうか。

メインの部分ではその目的を果たしていても、そこには副作用的なデメリットがありました。

 

ある物事の一面だけを見て、その方向では最適であったとしても、他の面では大きな不都合が生じている場合があります。

何かを決定するときには、見えている目的の面だけでなく、その他多数の面も考慮しないといけません。

しかも、他の面が今見えているとは限りません。

気づかないような場所にある見えていない面のあるでしょうし、どの角度からも見えない不可視の面があるかもしれません。

追い続けたらたぶんキリがありませんが、「あらゆる面から物事を想定する」ことは、とても大事なことです。

 

 

新しくペンを買う時、「安い!」と言って買ったペンが数回使っただけで壊れてしまう。時々あることです。

これは、「値段」にとらわれて「頑丈さ」に目が行っていなかったパターンです。

ペンを買う時には、

「色」「値段」「頑丈さ」「書き具合」「インクの量」「見た目」「分解しやすさ」「同じペンを持っていないか」「ペンケースの残り容量」「おこづかいの残り」「他の似たようなペンとの比較」

などの考慮面が存在します。

全ての面とはいきませんが、できるだけ多くの面を見て、最終的に購入するかどうかの決定を行います。

もちろん多くの面をクリアしたペンであれば満足度は高いでしょうし、もしペンに何か不満があったとしても、それは次回の考慮面となり、結果的に次のペンは今回より満足度の高いものになります。

 

 

こんな風に、現在の生活習慣も、再確認して改められるところがあれば改善していきたいものです。

言ってしまえば、食事の回数だって3回が正解だとは限らないわけですからね!

「栄養」「満腹度」「時間」「金額」「調理の手間」「タイミング」「胃の調子」「病気」「体形」「おやつ」

などを考慮して、自分に合った食事の回数を見つけることが肝要です。

 

もちろん、ある決定の裏には必ず犠牲になる面があります。

大切なのは、その犠牲を認識した上で受け入れること、結果に応じて改善を厭わないことなのです。

 

 

チョコボールを3個食べることのデメリットは先に書いた通りです。私はそれを認識した上で、3個食べています

もちろん1個食べを否定しようとは全く思っていません。

ですが、1個食べ派の人がもし、3個食べという面があることを認識していないのであれば、是非体験していただきたい。

3個食べの方がいいと思うかもしれませんし、やっぱり1個食べだなという再確認になるかもしれません。

 

が、どちらにしても、3個食べという食べ方が存在することを知ったこと自体が今後のプラスになる、と私は考えます。

 

 

1箱一気食いはまだやったことありません。

認識改善のため、今度やってみようかな(笑)

授業で扱ったボードゲームを振り返る

ボードゲームで成績は上がる!?

先日、保護者様より「最初は授業でボードゲームしてて成績上がるのかな?と思っていましたが、今ではボードゲームのおかげで成績が伸びたと思っています。」

とありがたいお言葉を頂戴した。

何とも嬉しい限り!

もちろん、「ボードゲームをするだけ」では、成績は上がらない。

教科の勉強の積み重ねがベースにあることは言うまでもない。

ただ、所謂「頭を使う」ということの形を作り、経験値を増やすことはできたのだと思う。

教科の勉強に際して、「取り組み方」の改善に資する部分があったと考えている。

 

また、説明書から読ませるという方法も功を奏したといえる。

「国語」となると、文章を「何となく」読んでしまう層は一定数いる。

しかし、ゲームの説明書を「何となく」読んでしまうと、一人だけ明らかにおかしな行動をしてしまう、のみならず、最悪の場合ゲームが壊れる。

実際に、文章の読み方に関しても、客観的に読む段階(レベル)を意識する細かい言葉遣いまで配慮する、といった点が少しずつできるようになってきていて、先週は洗足学園」の国語で80点オーバーが3名出現した!

ただ、やはりある程度の「継続」は必要で、少なくとも半年くらいは継続してやらないと効果は出てこないのかなと思った。

娘とも、週に1つをとりあえずのノルマとしてやれればいいなぁ。。。

 

ここまで使ったボードゲームを振り返る

12月からは、実戦演習期に入るため、ボードゲームは合格祝賀会までしばしのお預け。

ということで、ここまで授業で扱ったボードゲームを振り返る。

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ボードゲーム

 

工夫としては下記の通り。

論理的に考える要素のあるものを使う

場合分けが必要になるものを積極的に採用する

・5月からは、4週を「協力ゲーム」の週とする。

・30分以内で終了するものを中心に選ぶ

 

自分なりの改善点としては以下の通り

・「ダイス」「競り」「配置」など、もう少し体系的に整理してもよかった。

実施順については大いに最高の余地あり。

・本年度は人数が少なかったが、今後は人数による展開を考える必要あり。

・実際のゲーム中の場面に関する「フィードバック」の機会はもう少し多くてもよかった。

 

授業で扱った中で、私自身が好きなのは「マラケシュ」と「マスクメン」である。

マラケシュに関しては、こちらの記事をご参照ください。

keio-juku-gakudo.hatenablog.jp

 

マスクメンに関しては、詳細はこちら。

ameblo.jp

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マスクメン

マスクメンは、「強弱」が最初から決まっていないという点がポイントだ。

理想的には、自分が多く持っている種類のカードを誰かが多く出して強くしてくれればよい。

しかし、そんなことは起こらない(笑)

そこで、どこでバランスを取るかという悩ましさを体感できる。

フレーバーやコンポーネントが楽しいゲームではないが、

しっかりと考えること、悩むことを体験できるよいゲームである。

 

DGベース始動

さて、受験生はいよいよ残り2ヶ月となりラストスパート!

そして、私たちは来年度に向けた準備も着々と進行中。

今年は、「口頭試問」の授業で実施してきたボードゲーム達。

来年度から、「口頭試問」の授業は「DGベース」と名前を変えて、

各教員が1週間ずつ担当する。

具体的な内容は、これだけで1記事になりそうなので、また次回へ。

中学受験のalternativeを目指して、DGはこれからもひた走り続けます。